ポール・キメイジによるフロイド・ランディス インタビュー(3)
([2]からつづく)
キメイジ:きみは2001年の2月に結婚した。きみが、競技での薬物使用は改善されていなくて、自分は決断をしなくてはならなくなると気付いたのはいつだ?
ランディス:2001年はマーキュリーにとって躍進の年になるはずだった。ジョン・ウォーディンはツール・ド・フランスに出ると決意していて、ワイルドカードを得るためにヨーロッパの選手を何人も雇っていた。俺は色々な人々と会うことになった。ゴードン・フレイザーは俺の親しい友達で、いい選手だった。彼はモトローラにいたことがあって、注射針は嫌いだし関わりたくないから(USに)戻ってレースしていると言った。時には他の奴らと具体的なことを話すこともあった。ピーター・ファンペテヘムがチームに加わって、俺は彼と、どうやって自分の頭の中で正当化するのかについて話し合った。あの時は俺はまだ絶対にしたくないと思っていたんだ。俺はそういうものが嫌いだったし、自分にとって自転車はそんなものじゃないと感じていた。まだ理想論でものを見ていたんだ。
「拒絶していた」というのは強すぎる言い方だろうか?
拒絶していたというほどではないと思う…俺は本当に、それはそういうものなんだ、と受け入れている人が本当に多いことに混乱していた。俺は、どういうシステムでも ―この場合は自転車だけど、そういう大きなものでは― トップにいる人間が好きに操作できるのだと、知らなかった。俺は、そんなことができるとは思っていなかった。そんなこと納得できなかった。俺は「捕まるリスクを冒す奴があんなにいるなんて信じられない」と思っていた。だけどやがて見えてきたのは、単に危険を冒すことを厭わない奴だけじゃなく、実力のある奴なら誰でも、その危険の中にいるということだった。俺はあんな事になるとは予想していなかった。俺は、公に全体を非難し、自分たちがそれを改善しようとしているのだと言っている連中が、実際にはそれを起こしていたのだとは、思わなかったんだ。
きみは、どうやってその結論に辿りついた?
言ったように、2001年はマーキュリーにとって躍進の年になるはずだった。副スポンサーのViatelを得た。だが実際にはまるでダメだった。3ヶ月分の給料を支払われて、それが俺が最初にUCIと関わったときだ。そして端的に言うと「ルールなど関係ない。これが我々のやり方だ。」と言われたわけだ。
どういう意味だ?少し説明してくれ。
俺は1年間、月5000ドルを支払われるはずだった。3ヶ月分のあと、支払いはストップした。UCIにチームが登録するとき、チームがどうなっても雇用されている人間に給料が支払われるよう、銀行保証を用意しなければいけない。30日支払いが滞ったら、その保証から給料を支払うよう要求できる。それで俺はUCIに要求の書類を送った。彼らの返事には「彼(マーキュリーのチームマネージャ、ジョン・ウォーディン)は資金を準備しているところだ、支払い要求を今すぐするのはやめてくれ。あと2カ月したら払うからそれまで待て。」とあった。だから俺は2カ月待ち、金がなくなった。金が必要だったので、俺は要求を送った。彼らは「物事が上手く行くかどうかはっきりしない。あとひと月待ってくれ。」と言ってきた。それがもう7月か8月で、俺は業を煮やした。俺は弁護士に「支払いが必要で、それが出来ないなら法的手段に訴えなくてはならなくなる」というメールを送ってもらった。そしてヘイン・フェルブルッヘン(UCI代表)から直接の手紙が届いた。そこには「ここはアメリカじゃない、スイスだ」と書いてあった。それから「我々を訴訟で脅せばそれなりの対応を受けるぞ、あらゆる関係者にお前がそれに相応しい扱いを受けるよう告げることになる」。要するに「黙れ、おまえは金を受け取れない」ということだ。支払いを受けるまで2年かかった。それまでにコンタクトを取るたび、奴らはただ黙れ、ひっこめと言い続け「訴えてみろ」「我々は関知しない」と言い放った。そういうことが起きていて、USポスタルに雇われたときにもまだ支払いを受けようとしていた。
きみが1999年にマーキュリーに加わったときには、きみは金のことは構っていなかったのに ― ほとんど無給のようなものだったのに、2001年には契約についてもめていたわけだ。何が変わった?きみがその年結婚したというのは知っているし、私にアンバーが「野心的」できみを「けしかけた」のだとにおわせた人間もいるが、それは適当か?そういうことだったのか?
いいや、アンバーは決して俺に要求したりしなかった。金については俺は白黒はっきりしたいんだ。俺のルールは、[1]俺が誰かに金を払うと言ったら、その人間の働きが良かろうが悪かろうが必ず払う。例えば、俺はマイケル・ルサーフォード(彼のエージェント)に2006年の契約上の給料の10%を払った。俺が実際には7月分までしか払われず解雇されてもだ。 [2]誰かが俺を雇い何かをさせたら―たとえ自分がもっと受け取る資格があると思っても―彼らが約束通り金を支払っている間は俺は全力を尽くす。 [3]支払うと約束したのに支払われなかった場合、なにかきちんと理由があるなら、俺は許すし、水に流して蒸し返さない。 [4]俺が何かをした見返りに支払うと約束していて、出来るのに支払わないなら、俺は怒り支払わせようとする。俺にどんな代償があろうとだ。これは俺の両親が教えてくれたことからきている ― 約束したことは絶対にしろ、と。
では、きみが2002年にポスタルチームに加わった時、マーキュリー・UCIとの諍いは続いていたのだね
ああ、ランスと同じチームになったとき、俺はまだそれ(金)を受け取ろうとしていた。Cyclingnewsのティム・マロニーにその頃コメントしたことがある ― ポスタルと契約してから2、3カ月後のことだ ― UCIが自分たちのルールを何一つ守ろうとしないことに腹が立つ、と。それでフェルブルッヘンがランスに電話して、ランスは俺のところに来て、俺はコメントを取り下げ、Cyclingnewsで謝罪をしなくてはいけないと言った。そしてそれはつまり…俺はランスとドーピングのことを話しはじめていて、彼は俺たちがやっていることとか、フェラーリがどう働いているかとか、俺たちのトレーニングについてアドバイスをくれたりしていた。そういう時に起きたんだ。あるやりとりはこんな風だった。「わかるだろうフロイド、おまえはあいつの言うとおりにしなくちゃいけない。あいつの親切が必要になる時がそのうち来るからさ。前にもそういうことがあった。オレは2001年のツール・ド・スイスで陽性を出して、あいつらの所へ行かなきゃならなかった。」彼は言った「本当かどうかなんて関係ない。」彼はこうも言った「オレは疑ったりしていない、おまえの言ってることは本当で、あいつらがルールを守っていないんだというのは判っているさ。だがそれは関係ない。おまえが選択できることじゃない。おまえは謝罪しなくてはいけない。」だから俺は「わかった、俺はどういう仕組みになっているのかわかってなかったんだ。でもわかった。テストの結果をどうこうしてもらえるって話は初耳だけど、それで十分だ。そういう親切が必要なら、あいつを攻撃する気はない。」彼は「おまえがするのはこうだ。まずオレがジム・オショヴィッツ(米国自転車連盟の会長)に電話して、彼がフェルブルッヘンとの電話を繋ぐから、おまえは彼に謝罪し、申し訳ないと言うんだ。」と言った。2002年の話だ。俺のEメールの内容をあいつらがどうこう言ったのがそこだ。このやりとりをしたのが2002年だったんだ。
どうしてオショヴィッツが電話を受けたんだ?彼の役割は?
あいつは仲立ち役だ、ランスは俺にそういう風に説明した。彼は「ジム・オショヴィッツはこういうことをまとめる男だ。」と言っていた。
それで、きみはフェルブルッヘンに公けに謝罪したのか?それとも個人的に?
両方だ。
公けには誰を通して?
ティム・マロニーだ。俺はフェルブルッヘンにそう指示されたと言った。彼は「ああ、何があったかわかるよ。一面に載せるから。」と言った。実際には一面には載せてなかったが。掲載されてはいたけれど…
だが謝罪の記録はあるわけだな
ああ、そうだ。
個人的な謝罪はどうだ?
(しばらく黙る)俺は2つの事件を混ぜていたかもしれないが(Cyclingnewsに取り下げが載ったのは2003年)、フェルブルッヘンと俺の電話は2002年のツール・ド・フランス以前だったことはよく覚えている。いたのはサンモリッツで、そこにいる間は高くつくからUSの携帯電話は使わなかった。確か、なぜだかトレーニングの途中で止まって、俺はランスの携帯を使って、フェルブルッヘンと会っていたオショヴィッツからの電話を受けた。ランス・アームストロングが俺の隣に立ってそれを聞いていたとは思わない、多分彼はトレーニングを続けていたと思う。電話はほんの数分しかかからなかった…そしてまた俺は、強制されてそうしたわけではない。状況を完全に理解したからそうしたんだ。俺は、UCIがどういう風に動くかわかったから、「実際どう思っていようが申し訳ない、と言うんだ」と思った。一番高いレベルでは物事は操作されているという事実は俺に2つの選択を残した ― 何も言わずに辞めるか、そういうものだということを受け容れて、その中で自分が道を切り開く術を探すかだ。
UCIと、彼らのランスとの関係についてきみが体験したあと、その後のきみの判断はどれくらいその体験に影響された?きみがドーピングしようと決めたことに、その事実はどれくらい重かった?
それが全てだった。このスポーツをとりしきってる連中が、本当にそれをどうにか正したいと思っていると信じられる理由があったなら、俺はもしかしたらこう言っていたかもしれない。「待ってさえいれば、いつかこれ(ドーピング)をしなくとも勝てる機会があるだろう」と。だけど、生きているあいだにツールを走ってクリーンに勝てるチャンスがあるようなシナリオは、俺の頭の中になかった。何もかもあの体験が背後にあった。
それはもっともなことだ。
あんたがそういう質問をしてくれて嬉しいよ。俺が、何十回も言おうとしたが上手く言い表せなかったことが、はっきり言葉になる。やったことの責任は俺にある。その決断をしたのは俺だ。誰のせいにする気もないし、誰かが俺に強制したわけでもない。だが状況がそうあって、その決断は俺にとってはほとんど決められていたんだ…俺はその時点(アームストロングと会話した時)まで、自分の中でそれを正当化したことはなかった。そして「この賭けは勝ち目がないんだ。この状況が正される可能性はない、受け容れるか、それとも辞めるかなんだ」と判断した。同時に問題を困難にしたのは、その頃俺は良い給料を貰っていて、勝者とともにツール・ド・フランスに出るチャンスがあったということだ。今気づいたが、物事はその頃俺が思っていたほど単純じゃなかった。俺はレースをしていい金を稼ぐことが出来たんだ…俺は、辞めなかった。
少し時間を戻して、ポスタルとの最初のシーズンときみが初めてランスに会ったときの話をしよう。去年7月にウォールストリートジャーナルに載った長い記事では、きみは2001年12月のトレーニングキャンプのこと、キャンプ中のある晩にバンに乗りこんでオースティンのストリップクラブに行った話をしていたね。ランスが運転して街灯を壊したと…
(笑う)彼はどんなルールも壊してたよ。
それがきみが持った最初の、彼は法を超えているという感覚か?
そう。俺はストリップクラブの事を話すのは本当に気が進まなかった。ランスを何とか悪く見せようとしてると捉えられたくなかったからだ。だけどあの出来事はよく本質を突いていたから言っておきたかった…彼のやり方はあの本(アームストロングの自伝)の内容とどうやっても一致しなかった。つまり、自転車界の中ではいろいろ話されててあいつは酷い奴だとか、ドーピングの噂だってされていたと思うが、俺が知っていたのはあの本と、少しばかりの噂だけだったんだ。今は確かに知っているが。
きみはそれを間近で見ていたんだな
そうだ。それ以上のものがあったけど、そうでなければならない事だったら、それはそれで良かった。俺はプレスと関わった経験なんてなかったから、実際に彼がしていたことがどれほど困難だったか分かってなかった。実際の人生を弄って別の人生に作り変えてしまうこと、100%つくりごとに近い話をし続けること、そういう不快な生き方をして、それを隠そうとすらしないこと。つまり、俺は彼が会ったこともない奴だった。彼は俺に、信用のおける人間かどうかを見せる期間すら与えなかった。ただ俺を車に放り込んで、ストリップクラブに行ったんだ。隠そうともしない男なのに、作り話はなぜかそのままなんだ。この男はどうしようもない事をやって周っているのに、俺たちが聞くのはいい話ばかり ー 彼は人々を勇気づけ、希望を与えていると。俺は自分がしたいように生きるし、彼がしたい事について彼を非難するつもりはない ー ただ知っているだけだ。話の辻褄が合わない、と。
ウォールストリートジャーナルの記事からの引用だが「ランディス氏は、アームストロング氏がそのようなパーティに行くことに驚いたものの不快感は感じなかったと語った。アームストロング氏の私的な生活が公けのものと違うとしても、それは許容できると。」しかしきみが育った環境を考えると、どうやって公けの場でと私的な生活での差を許容できたんだ?
俺がそれで構わないと言った時は…あの頃は、俺は自分がそんなことをしたいとも、まして出来るとも思っていなかった。だがその頃に今の自分がいたとして言えば、許容できる。それとその頃俺はまだ少し名声に眩んでいたんだ。俺は自転車レースを見て育ったわけではないが、それでもあの男が大スターなのは知っていたから。
世界的スター、か?
ああ、彼は本物のスターだったよ。ー あんたがそれを知らないわけはないがー だから俺は彼のスターっぷりに少し眩んでいた。俺は、ああいう生き方が最善じゃないと感じてはいたが、別にそう沢山を知っていたわけじゃなかった。どうしてああしなければいけないのか、そもそもなんでああなのか、俺には解らなかったが、俺は構わなかった。「別にこの男のために働くのは構わない、こいつは俺の知らないことを知っているんだ。それでいい」と…構わない、許容できる、というのは「きっとそういうものなんだろう」という意味だ。それに俺はそれを変えたり、そもそも彼にそんなことをするべきじゃないなんて言えるような立場じゃない。批判できるほど彼のことを知りもしない。
きみが彼に感じることは、それに影響されたか?
いいや、だが。つまり俺は、彼の噂、彼が本から思うほどいい人間ではないということは聞いていたし、完全に不意をつかれたわけじゃない。だがそれは、じゃあ彼が実際にはどういう人間なのか自分で探し当てないといけないという事だった。結局わからなかった。
がっかりしたか?
ああ、とても。失望したのをよく覚えている。物語が本当であって欲しいと思っていたんだ。
ではきみはオースティンでのトレーニングキャンプで最初に彼に会ってから、すぐに内側の輪のメンバーになったんだな。そして7ヶ月後、ランスもいたツール前のサンモリッツでのトレーニングキャンプで、きみは初めて、ドーピングをした。
そうだ。
([4]へつづく)
(Source: nyvelocity.com)