ポール・キメイジによるフロイド・ランディス インタビュー(9)
([8]からつづく)
キメイジ:きみとアンバーとの関係は事件に影響されたか?
ランディス:俺の人生はあれが起こらなかったら全てが違っていたよ。あれさえ起きなかったら全てが永遠に素晴らしかっただろうなんてことは言えない、だけど俺はもうそれ以前の俺とは違ってしまった。俺は自転車でレースをすることに熱中するよりさらに、この件を闘うことに熱中していった。俺は1日24時間を書類を読んで過ごした。俺は化学者になり法律家になり、全ての時間を法律事務所で過ごした。立ち止まって考えることができなかった。休めなかった。眠れなかった。俺は、止まりたくなかった。解決するまで24時間働き続けたかった。それだけが俺がそれをやり抜けられる方法だったんだ。それは俺の周りのものを全て壊し、それがなくてもどうなっていたかはわからないが、何もかもに影響した。俺は沢山の人に悪いことをしたと思っている。俺と親しかった人もそれをくぐり抜けた…俺と同じにではないだろうけど、彼らも俺と同じくらいツール・ド・フランスに思い入れがあったんだ…
ツール・ド・フランスへの思い入れか。これはきみの奥さんの話ではないのか?彼女はツール・ド・フランスのことなど何とも思っていなかっただろう?
ああ、俺は単に俺の周りの人々全般について話していた。あんたの言うとおりだ。彼女にとってはそれは何でもなかった、だが思うに俺は自分がショックを受けていることに甘え、他の人も同じだということを気遣えなかった。それがツールのことによってでも、俺がどう感じたり振る舞ったりするかでも。俺はただ他のことに気を向けなかった。俺はこれを何とかしなくてはということだけ考えていて、それに取り憑かれていた。健康的ではなかったが、それが俺の耐え方だったんだ。俺は立ち去れなかった。どこかへ行って忘れてしまうなんて出来なかったんだ。
本を書いたことはどうだ?何か助けになったか?
その時には少し役立ったと思うが、俺が書いているのでなければ良かったと思っていた。金のために書かなくてはならなかったんだ。13万ドル支払われて、弁護士費用に消えた。だけど金を集めるのにできることはすべてしなければならなかったんだ。時が経つのを待って本当の本を書くべきだと解っていたよ。悪いアイディアだと解っていたが、俺はそれをやることになっていた。それに俺は実際に起きていたことを見つめられるほど自分を切り離せなかった。できなかったんだ。片方では知っていて他方では知らないなんて、頭がおかしいように聞こえるかもしれないが…
ある種おかしかったんじゃないかと思うが?
状況があまりに捻じれ曲がっていて俺にはよくわからなかった…俺は自分に出来ることをしていたつもりだった。そして別の次元では、もっと難しい結果は「もしそのうちに何かが起きて認めなくてはいけなくなったらどうするんだ?もっと証拠が出てきたら?誰かが話したら?どうするんだ?」起きうることはいくらでもあった。俺はただ「そんなの俺にはどうにもできない」と結論した。
きみがツール優勝のトロフィーの陶器のボウルを割った夜のことを話してくれ。夜だったな?
俺がモーリス(スー)、俺の弁護士から電話を受けたのは朝だった。最初のUSADAの裁判の結果をアナウンスすると言われた。その時点では、俺は現実を受け入れ始めていたが、まだ希望も十分に抱いていた。俺は彼らが「我々は彼がドーピングしたと推定するが研究所のオペレーションには問題がある」といったことを言うかもしれないと思っていた。それが俺にとっては最良のシナリオだった。そうはならないかもしれない、と考えることは拒んでいた。そのために心の中で準備をするのを拒んだ。俺は先のことを考えられなかった、ただ自分に「きっとうまくいく、大丈夫だ」と言い聞かせることしかできなかった。俺の友人たち、ウィル(ジョージガン)とブレント(ケイ)も二人ともその朝そこにいて、外に乗りに行くところだった。電話がかかってきて、あと20分ほどで(結果を)伝えるという。俺たちは半マイルほど乗って引き返し、俺はガレージに座った。20分ほどこれから何が起きるのか考え、そして考えれば考えるほど俺は全てに激しい怒りを感じた。電話がかかってきてモーリスが「我々の敗訴だ」と言った。彼は(その件を)説明したがったが俺は「どうでもいい、理由なんか聞きたくない」と言った。俺は家の中に入りアンバーと話そうとしたが、もうそんな(とても張りつめた)状態だったので彼女は泣きだした。俺はもうそれに取り憑かれていたし、彼女はこれがもう変わらないと知っていた。俺は(トロフィーの)棚がある2階に行った。俺は既にその前を何百回と歩いていたが、その前を歩くその度ごとに、それをぶち壊してやりたいと思っていた。わからないが、そうしたら少しは気分が良くなるんじゃないかと思ったんだ、俺はこんな馬鹿げたものはいらない、欲しくもないということを示したら。それは俺じゃなかった。それは俺を、俺ではない何か別のものにしてしまっていた。だからその前を通り過ぎるとき、俺はそれを掴んで、「ぶち壊してやる」と言って、そうした。5分くらいは気分が良くなったよ(笑う)、後悔すらしなかった。捨てられてせいせいしたし、それがなくなって嬉しかったが、アンバーはそうではなかった…
彼女はそうではなかった?
彼女はとても怒っていた。その時には俺たちはもうほとんど何も持っていなかったんだ。あったものは全部売ってしまっていた ―マイヨジョーヌやそうしたものも全部― 金を得るために。俺が手に入れたもの、ツール・ド・フランスから持ち帰ったがらくた、何もかももうなく、それだけが最後に残ったものだったんだ。彼女は俺がそれを壊したことが不満だった。それは彼女の人生の一部でもあって、きっとまだ何がしかの思い入れがあったのだろう。
きみはそのトロフィーが自分を別のものにしてしまったと言ったな?
そうだ、あれは嘘をつかなくてはならなかった人生の分岐点を表わしていた。俺は嘘をつきたくなかった、あんな風には。それ以前にも薬物については聞かれることがあったが、それとは違った。以前は、罪のない人々はそれに関わっていなかった。以前からそれを狙っていた連中、勝っていたかもしれない奴らは、同じようにドーピングしていた。俺は誰かから何かを奪っているようには感じていなかった。だがその時はそうなっていた。その時には、そんなことに結び付けられなくていいはずの人々がいて、ただいなくなるには状況は複雑すぎた。そしてあれ(トロフィー)は、俺にあれをさせたものの最後の象徴だった。そして俺はあんな下らないもの ―自転車レース!― そんなもののためにあんなことをした自分にがっかりしていた。俺はいなくなりたかった、それだけだ。ああして壊したのは馬鹿げていたが、少なくともその後俺はもうあれを見ないで済むようになった。本当のことを言おうと決めたこともあった ―2回の敗訴のたび俺は真剣にそれを考えた― しかし一方で、それが他の人々にどう影響するかをまた考えて…
USADAの件で敗訴したあと、どうして上告を決めた?
俺には確信があったからだ…これについても、俺はそこへ至る過程で以前には知り得なかったことを沢山学んでいた。だが最初の件では仲裁員たちが相手側の勝利にそもそも傾いていると、それなりに判っていた。俺は「そうか、俺たちは話を聞いてくれる論理的な仲裁員がいるところ(CAS、スポーツ仲裁裁判所)へ上訴しないといけないんだ」と思った。俺はまだ諦める用意ができていなかったが、俺を苛立たせたのは彼らがまるで物事のスピードをあげようとしなかったことだ。奴らはことが長引いているのを俺のせいにしたが、俺は100万ドル近くを、ただ研究所から証拠を受け取るためだけにWADAとやりとりするための書類を作るのに費やしていた。彼らはそれを俺には渡さなかったんだ。彼らは「きみにはその権限はない」と言うんだ。自分が問われている罪の証拠を見る権利がある刑事事件とは違うし、ただペーパーワークをするだけで6、7ヶ月もかかった。そしてそれを分析するのに3ヶ月かかり、最初の聴取は終わっている。2度目の聴取は、3カ国からの3人の仲裁員全員に都合のつく日程を立てるのが難しくて、結局9ヶ月かかった。そしてそれから彼らは俺には裁定を出すのに3ヶ月半待った。つまり彼らは裁定を出すのに2年かかったんだ。そして俺に6ヶ月上乗せの出場停止を科した。2つの件を別々の場所で戦うことはできないから俺はフランスで訴えを起こしたが、奴らはそれを俺を責めるのに使った。2年半の資格停止を科せられ、俺はそのことに苛立った。それがなんであろうと、俺は全く信用できなかった。こんなことでドーピングがなくなるものか。何もかも(やり方を)見直されなければいけないと思った。他方、俺も同じようなものだった。真実を話さなければ解決があるわけがない。だから俺は、自分の第一歩を踏み出すことにしたんだ。
いつアンバーと別れ、離婚することになった?なにがきっかけだ?
ただ成り行きだよ。確か俺がツールを勝ってから1年後ほどで、ただ何もかもかもが…俺はもう俺じゃなかったんだ。
きみたちには子供はいなかったな?
俺たちの子供はいなかった。だけどリアンは俺の娘と同じだ。養子の手続きはしなかったが彼女の面倒をみているし、彼女も俺をパパって呼んでいる。
子供が欲しくはなかったか?
この5年それを考えることも止めていた。考えられれなかった。これ以上のストレスはとても無理だったし…
それ以前は?ツールを勝つまでに6年の結婚生活があっただろう?
ああ、だがあれ以前は俺はいつも自分はまだ若い、時間があると感じていたんだ。そしてこれが起こり、5年が過ぎ、ある意味俺にとってはそれは何百年のようにも思えたんだ。そのどちらの見方からしても、俺はもう自分の人生にこれ以上のストレスを加えることはとても考えられない。つまり、そもそも、デイヴィッドが自殺してから1ヶ月後俺は股関節を人口関節に置換して6週間歩けず痛み止めを飲んでいた。ただ次から次へと何かが起こった。あんなことを二度と感じないなら俺にはそれでいい。誰でも人生で大きなストレスのかかる時期が、人によってはいくつもあるが、俺にとってはあの時がそうだったのだろうと思いたい。高すぎる目標を持たなくても幸福を感じられる方法や、他の人やなにかを助けて幸福になれるような、そういう道を見つけたいんだ。だけど俺はまず真実を話さなければいけない、それが出来ないなら他の人を助けるなんてできるはずがないんだ。
いつがどん底だった?
10回はあったな ―毎回これがどん底だと思ったが、そもそもとても低いところにいた。この5年程は深刻に鬱状態だった。良くなった、気分がいい、と感じることもあったが、実際には気分が良かったことはなかった。ただ少しましってだけだった。気分がいいなんてことがどんなことかもう思い出せなかった。ただ、あんたは俺が真実を話そうと決めた時がどん底だろうと思うかもしれないが、それは実際には辛い時間を越えて、少し良くなり出していたときで、去年(2009年)俺はやっとレースに戻っていた。いいレースはできなかった。なにもかもに気分が悪くてあまり集中できていなかったが、それでも俺にとっては良かった。ルーチンができ、小さな目標を持てた。たとえ達成できなくても、それは意味があることなんだ。そうだろ?そしてそうして1年過ごせたことが大切だった ―もう一度人間になるために。だから、どん底は少し前だ。それから少しづつ良くなっている。まだすっかり大丈夫とは言えないが、もう前のように世界から全く切り離されてしまったようには感じない。レクリエーショナルドラッグとか、そういうものと無縁の人生を送ってきたのは幸運だった。そうでなければ本当に問題を抱えていたかもしれないが、そういったものは頭をよぎりもしなかった。俺はただそういうものはやらないんだ。
アルコールはどうだ?酒は飲まなかったのか?
飲んでいたこともあったよ。四六時中とかじゃないが、かなりの間は毎日何杯か飲んでいて、やがてやめる必要があると気づいた。しばらくセラピーに行って、それで自分はまた考えることから逃げていただけだと気がついた ―ただ今回は自転車ではなくアルコールを使っていたというだけだ。ただそこから逃げていたのでは俺は治らないと気づいた。戻ってやり直すことはできないんだ。事実は変えられない。事実は永遠に同じまま残る。それを否定していたら、乗り越えることもできない。だから俺はそれと向き合うしかなかったし、それはそれでまた嵐のような体験だった。感情の起伏があって、どんな受け止め方をされるのか、探り出そうとした。俺に何が起こるのか、よくわからなかった。何人かの弁護士には俺は偽証の罪で逮捕され刑務所に入れられると言われた。何人かは「訴えられるからとにかくやめろ」と言った。俺はそうしたことを聞き、その上で自分に起こりうることを考えなくてはならなかった。そして結局、リスクは問題ではないのだと結論した。俺は自分がしたことの代償は何であれ払うし、それは俺にとって問題じゃない。刑務所に入らないで済めばいいとは思ったが、もしそうなるのなら、少なくともそこから出てきた時、俺は真実を話せるし、そうしたら気持ちが良くなるだろう。夜には良く眠れるだろうし何の夢を見るかを心配しなくてもよくなる、もうどうにもならないのに以前はどうだったと考えることもなくなるだろう。つまりそういうことだ、終わったんだ。そして俺は何もかも明かす決心をした。それをどうやるのかは考えなくてはならなかった。そんなことにテンプレートなんてないからな…
([10]へつづく)
(Source: nyvelocity.com)