ポール・キメイジによるフロイド・ランディス インタビュー(9)

[8]からつづく)

キメイジ:きみとアンバーとの関係は事件に影響されたか?

ランディス:俺の人生はあれが起こらなかったら全てが違っていたよ。あれさえ起きなかったら全てが永遠に素晴らしかっただろうなんてことは言えない、だけど俺はもうそれ以前の俺とは違ってしまった。俺は自転車でレースをすることに熱中するよりさらに、この件を闘うことに熱中していった。俺は1日24時間を書類を読んで過ごした。俺は化学者になり法律家になり、全ての時間を法律事務所で過ごした。立ち止まって考えることができなかった。休めなかった。眠れなかった。俺は、止まりたくなかった。解決するまで24時間働き続けたかった。それだけが俺がそれをやり抜けられる方法だったんだ。それは俺の周りのものを全て壊し、それがなくてもどうなっていたかはわからないが、何もかもに影響した。俺は沢山の人に悪いことをしたと思っている。俺と親しかった人もそれをくぐり抜けた…俺と同じにではないだろうけど、彼らも俺と同じくらいツール・ド・フランスに思い入れがあったんだ…

ツール・ド・フランスへの思い入れか。これはきみの奥さんの話ではないのか?彼女はツール・ド・フランスのことなど何とも思っていなかっただろう?

ああ、俺は単に俺の周りの人々全般について話していた。あんたの言うとおりだ。彼女にとってはそれは何でもなかった、だが思うに俺は自分がショックを受けていることに甘え、他の人も同じだということを気遣えなかった。それがツールのことによってでも、俺がどう感じたり振る舞ったりするかでも。俺はただ他のことに気を向けなかった。俺はこれを何とかしなくてはということだけ考えていて、それに取り憑かれていた。健康的ではなかったが、それが俺の耐え方だったんだ。俺は立ち去れなかった。どこかへ行って忘れてしまうなんて出来なかったんだ。

本を書いたことはどうだ?何か助けになったか?

その時には少し役立ったと思うが、俺が書いているのでなければ良かったと思っていた。金のために書かなくてはならなかったんだ。13万ドル支払われて、弁護士費用に消えた。だけど金を集めるのにできることはすべてしなければならなかったんだ。時が経つのを待って本当の本を書くべきだと解っていたよ。悪いアイディアだと解っていたが、俺はそれをやることになっていた。それに俺は実際に起きていたことを見つめられるほど自分を切り離せなかった。できなかったんだ。片方では知っていて他方では知らないなんて、頭がおかしいように聞こえるかもしれないが…

ある種おかしかったんじゃないかと思うが?

状況があまりに捻じれ曲がっていて俺にはよくわからなかった…俺は自分に出来ることをしていたつもりだった。そして別の次元では、もっと難しい結果は「もしそのうちに何かが起きて認めなくてはいけなくなったらどうするんだ?もっと証拠が出てきたら?誰かが話したら?どうするんだ?」起きうることはいくらでもあった。俺はただ「そんなの俺にはどうにもできない」と結論した。

きみがツール優勝のトロフィーの陶器のボウルを割った夜のことを話してくれ。夜だったな?

俺がモーリス(スー)、俺の弁護士から電話を受けたのは朝だった。最初のUSADAの裁判の結果をアナウンスすると言われた。その時点では、俺は現実を受け入れ始めていたが、まだ希望も十分に抱いていた。俺は彼らが「我々は彼がドーピングしたと推定するが研究所のオペレーションには問題がある」といったことを言うかもしれないと思っていた。それが俺にとっては最良のシナリオだった。そうはならないかもしれない、と考えることは拒んでいた。そのために心の中で準備をするのを拒んだ。俺は先のことを考えられなかった、ただ自分に「きっとうまくいく、大丈夫だ」と言い聞かせることしかできなかった。俺の友人たち、ウィル(ジョージガン)とブレント(ケイ)も二人ともその朝そこにいて、外に乗りに行くところだった。電話がかかってきて、あと20分ほどで(結果を)伝えるという。俺たちは半マイルほど乗って引き返し、俺はガレージに座った。20分ほどこれから何が起きるのか考え、そして考えれば考えるほど俺は全てに激しい怒りを感じた。電話がかかってきてモーリスが「我々の敗訴だ」と言った。彼は(その件を)説明したがったが俺は「どうでもいい、理由なんか聞きたくない」と言った。俺は家の中に入りアンバーと話そうとしたが、もうそんな(とても張りつめた)状態だったので彼女は泣きだした。俺はもうそれに取り憑かれていたし、彼女はこれがもう変わらないと知っていた。俺は(トロフィーの)棚がある2階に行った。俺は既にその前を何百回と歩いていたが、その前を歩くその度ごとに、それをぶち壊してやりたいと思っていた。わからないが、そうしたら少しは気分が良くなるんじゃないかと思ったんだ、俺はこんな馬鹿げたものはいらない、欲しくもないということを示したら。それは俺じゃなかった。それは俺を、俺ではない何か別のものにしてしまっていた。だからその前を通り過ぎるとき、俺はそれを掴んで、「ぶち壊してやる」と言って、そうした。5分くらいは気分が良くなったよ(笑う)、後悔すらしなかった。捨てられてせいせいしたし、それがなくなって嬉しかったが、アンバーはそうではなかった…

彼女はそうではなかった?

彼女はとても怒っていた。その時には俺たちはもうほとんど何も持っていなかったんだ。あったものは全部売ってしまっていた ―マイヨジョーヌやそうしたものも全部― 金を得るために。俺が手に入れたもの、ツール・ド・フランスから持ち帰ったがらくた、何もかももうなく、それだけが最後に残ったものだったんだ。彼女は俺がそれを壊したことが不満だった。それは彼女の人生の一部でもあって、きっとまだ何がしかの思い入れがあったのだろう。

きみはそのトロフィーが自分を別のものにしてしまったと言ったな?

そうだ、あれは嘘をつかなくてはならなかった人生の分岐点を表わしていた。俺は嘘をつきたくなかった、あんな風には。それ以前にも薬物については聞かれることがあったが、それとは違った。以前は、罪のない人々はそれに関わっていなかった。以前からそれを狙っていた連中、勝っていたかもしれない奴らは、同じようにドーピングしていた。俺は誰かから何かを奪っているようには感じていなかった。だがその時はそうなっていた。その時には、そんなことに結び付けられなくていいはずの人々がいて、ただいなくなるには状況は複雑すぎた。そしてあれ(トロフィー)は、俺にあれをさせたものの最後の象徴だった。そして俺はあんな下らないもの ―自転車レース!― そんなもののためにあんなことをした自分にがっかりしていた。俺はいなくなりたかった、それだけだ。ああして壊したのは馬鹿げていたが、少なくともその後俺はもうあれを見ないで済むようになった。本当のことを言おうと決めたこともあった ―2回の敗訴のたび俺は真剣にそれを考えた― しかし一方で、それが他の人々にどう影響するかをまた考えて…

USADAの件で敗訴したあと、どうして上告を決めた?

俺には確信があったからだ…これについても、俺はそこへ至る過程で以前には知り得なかったことを沢山学んでいた。だが最初の件では仲裁員たちが相手側の勝利にそもそも傾いていると、それなりに判っていた。俺は「そうか、俺たちは話を聞いてくれる論理的な仲裁員がいるところ(CAS、スポーツ仲裁裁判所)へ上訴しないといけないんだ」と思った。俺はまだ諦める用意ができていなかったが、俺を苛立たせたのは彼らがまるで物事のスピードをあげようとしなかったことだ。奴らはことが長引いているのを俺のせいにしたが、俺は100万ドル近くを、ただ研究所から証拠を受け取るためだけにWADAとやりとりするための書類を作るのに費やしていた。彼らはそれを俺には渡さなかったんだ。彼らは「きみにはその権限はない」と言うんだ。自分が問われている罪の証拠を見る権利がある刑事事件とは違うし、ただペーパーワークをするだけで6、7ヶ月もかかった。そしてそれを分析するのに3ヶ月かかり、最初の聴取は終わっている。2度目の聴取は、3カ国からの3人の仲裁員全員に都合のつく日程を立てるのが難しくて、結局9ヶ月かかった。そしてそれから彼らは俺には裁定を出すのに3ヶ月半待った。つまり彼らは裁定を出すのに2年かかったんだ。そして俺に6ヶ月上乗せの出場停止を科した。2つの件を別々の場所で戦うことはできないから俺はフランスで訴えを起こしたが、奴らはそれを俺を責めるのに使った。2年半の資格停止を科せられ、俺はそのことに苛立った。それがなんであろうと、俺は全く信用できなかった。こんなことでドーピングがなくなるものか。何もかも(やり方を)見直されなければいけないと思った。他方、俺も同じようなものだった。真実を話さなければ解決があるわけがない。だから俺は、自分の第一歩を踏み出すことにしたんだ。

いつアンバーと別れ、離婚することになった?なにがきっかけだ?

ただ成り行きだよ。確か俺がツールを勝ってから1年後ほどで、ただ何もかもかもが…俺はもう俺じゃなかったんだ。

きみたちには子供はいなかったな?

俺たちの子供はいなかった。だけどリアンは俺の娘と同じだ。養子の手続きはしなかったが彼女の面倒をみているし、彼女も俺をパパって呼んでいる。

子供が欲しくはなかったか?

この5年それを考えることも止めていた。考えられれなかった。これ以上のストレスはとても無理だったし…

それ以前は?ツールを勝つまでに6年の結婚生活があっただろう?

ああ、だがあれ以前は俺はいつも自分はまだ若い、時間があると感じていたんだ。そしてこれが起こり、5年が過ぎ、ある意味俺にとってはそれは何百年のようにも思えたんだ。そのどちらの見方からしても、俺はもう自分の人生にこれ以上のストレスを加えることはとても考えられない。つまり、そもそも、デイヴィッドが自殺してから1ヶ月後俺は股関節を人口関節に置換して6週間歩けず痛み止めを飲んでいた。ただ次から次へと何かが起こった。あんなことを二度と感じないなら俺にはそれでいい。誰でも人生で大きなストレスのかかる時期が、人によってはいくつもあるが、俺にとってはあの時がそうだったのだろうと思いたい。高すぎる目標を持たなくても幸福を感じられる方法や、他の人やなにかを助けて幸福になれるような、そういう道を見つけたいんだ。だけど俺はまず真実を話さなければいけない、それが出来ないなら他の人を助けるなんてできるはずがないんだ。

いつがどん底だった?

10回はあったな ―毎回これがどん底だと思ったが、そもそもとても低いところにいた。この5年程は深刻に鬱状態だった。良くなった、気分がいい、と感じることもあったが、実際には気分が良かったことはなかった。ただ少しましってだけだった。気分がいいなんてことがどんなことかもう思い出せなかった。ただ、あんたは俺が真実を話そうと決めた時がどん底だろうと思うかもしれないが、それは実際には辛い時間を越えて、少し良くなり出していたときで、去年(2009年)俺はやっとレースに戻っていた。いいレースはできなかった。なにもかもに気分が悪くてあまり集中できていなかったが、それでも俺にとっては良かった。ルーチンができ、小さな目標を持てた。たとえ達成できなくても、それは意味があることなんだ。そうだろ?そしてそうして1年過ごせたことが大切だった ―もう一度人間になるために。だから、どん底は少し前だ。それから少しづつ良くなっている。まだすっかり大丈夫とは言えないが、もう前のように世界から全く切り離されてしまったようには感じない。レクリエーショナルドラッグとか、そういうものと無縁の人生を送ってきたのは幸運だった。そうでなければ本当に問題を抱えていたかもしれないが、そういったものは頭をよぎりもしなかった。俺はただそういうものはやらないんだ。

アルコールはどうだ?酒は飲まなかったのか?

飲んでいたこともあったよ。四六時中とかじゃないが、かなりの間は毎日何杯か飲んでいて、やがてやめる必要があると気づいた。しばらくセラピーに行って、それで自分はまた考えることから逃げていただけだと気がついた ―ただ今回は自転車ではなくアルコールを使っていたというだけだ。ただそこから逃げていたのでは俺は治らないと気づいた。戻ってやり直すことはできないんだ。事実は変えられない。事実は永遠に同じまま残る。それを否定していたら、乗り越えることもできない。だから俺はそれと向き合うしかなかったし、それはそれでまた嵐のような体験だった。感情の起伏があって、どんな受け止め方をされるのか、探り出そうとした。俺に何が起こるのか、よくわからなかった。何人かの弁護士には俺は偽証の罪で逮捕され刑務所に入れられると言われた。何人かは「訴えられるからとにかくやめろ」と言った。俺はそうしたことを聞き、その上で自分に起こりうることを考えなくてはならなかった。そして結局、リスクは問題ではないのだと結論した。俺は自分がしたことの代償は何であれ払うし、それは俺にとって問題じゃない。刑務所に入らないで済めばいいとは思ったが、もしそうなるのなら、少なくともそこから出てきた時、俺は真実を話せるし、そうしたら気持ちが良くなるだろう。夜には良く眠れるだろうし何の夢を見るかを心配しなくてもよくなる、もうどうにもならないのに以前はどうだったと考えることもなくなるだろう。つまりそういうことだ、終わったんだ。そして俺は何もかも明かす決心をした。それをどうやるのかは考えなくてはならなかった。そんなことにテンプレートなんてないからな…

([10]へつづく)

(Source: nyvelocity.com)

汚れた英雄

ランス・アームストロング率いるアメリカ自転車チームの強豪、USポスタルサービス(米国郵政公社。以下PS)の選手たちにとっては、裏表は自転車競技の一部だった、とアームストロングの元同僚が語った。

タイラー・ハミルトンは2004年の五輪金メダリストであり、元PSの選手で、日曜日放送の”60 Minutes”でチームをそのように評した。隠語、秘密の電話番号、そして人目をはばかる会話にあふれた生活だったという。

6 notes

ポール・キメイジによるフロイド・ランディス インタビュー(8)

[7]からつづく)

キメイジ:ジョナサン・ヴォーターズはきみに本当のことを明かせと言ったそうだが?

ランディス:ああ、そうだ。彼は俺に「本当のことを言うんだ」とテキストメッセージを送ってきた。

テキストメッセージだったのか?では彼と実際に話しはしなかったのだな?

ああ、話してはいない。だがテキストに返事はした。彼もまた俺が「よし、彼は大方の人間よりもよく解っている。彼には話せる。彼はそう決めつけたりしないだろう」と思える人間だったからだ。だがそこで問題があった。俺の頭の中では真実というのはヴォーターズの頭の中でよりもっと複雑なものなんだ。そして俺はやっとそれが解った。(2010年4月に)俺が本当のことを話そうとしていた時に、俺は彼とやりとりを持った ー彼は他の人々より先にそのことを知っていたからだー 彼の助言は「自分について自分で知っていることだけ話し、他の人間のことは話すな」というものだった。俺はこう言った「ああ、だけどジョナサン、この話には他の人間も関わってる。それを抜いてどうやって話すんだ?もし『USポスタルチームでお前のドーピングを手伝ったのは誰だ?』と聞かれたら何て言えばいいんだ?」彼は「お前には関係ないと言え。」と。よく言ったもんだ。俺はこう返した。「ヴォーターズ、おまえ記者と話したことがあるのか?『お前には関係ない』なんて多分最悪の受け応えだぞ。」俺の中では真実は複雑なものだった。彼の中ではそれは「ああ、俺はドーピングした、もう家に帰る」それが彼が俺に言わせようとしたことだ。

それもテキストメッセージでのやりとりだったか?

ああ。俺にとっては「やってない」と言うのも、デイヴィッド・ミラーのように半分だけの真実を話すのも違いはない。「一度やりました、捕まえて欲しかったんです、注射器を捨てないほどの間抜けでした」俺はそんな話をするつもりはなかった。俺は真実を話すなら真実を話す。それか嘘に罪悪感を感じることになるとしたら、くそ、ただ嘘を通して何とかなるよう願うだけだ。俺はヴォーターズがどうして物事をああ単純に考えるのかわからない、そんなに単純じゃない。

それは彼にとってあまりいい評価ではないな。

そうだな、同意する、それが俺の考え方だったんだ。俺が「どうせ嘘を言うなら、自分のことも守ればいいんじゃないか?他の奴全員を守ってるんだから!」と思ったのはそのためだ。だがどうせ誰もそれを信じなかっただろう。俺がUSポスタルサービス・チームにいた時にドーピングを発明したのだと言っても信じる奴は誰もいなかっただろう。俺は何を言うつもりだったんだ?ドーピングしたのはツール・ド・フランスでだけだと?

(キメイジはヴォーターズにそのやりとりのついて彼の側からの見解をあたり、次のメールが送られてきた。
「私はフロイドに、USADAとWADAがドーピングと戦うのを助けるのに適切な全ての事について完全に正直に率直になるように言った。私は彼をトラヴィス・タイガートと繋ごうとした。私はトラヴィスを公平な人物として信頼しているからだ。私は彼に公に誰かについて何かをメディアに明かすべきだとは言わなかった。メディアはアンチドーピング規定の施行者の役にはないからだ。そして公に開示することは実際にはアンチドーピング捜査への妨げにもなり得る。私はこのスポーツの意義ある変化をもたらすため完全な真実を必要としているのはジャーナリストではなく適切な当局機関だと感じていた。それが私が彼に言ったことだ。」)
 

パット・マッケイドもきみに真実を話すよう言ったというが?

彼は俺に真実を話せとは言わなかった、彼が言ったのは、争えば俺に勝ち目はない、だから金を使わず家で大人しくしていろということだ。彼は正しかったな!だが彼は俺に真実を明かして欲しくはなかったことは確信している。でなければ彼はただそう言っただろう。その時俺はそれ(彼の助言)を「フロイド、お前は犠牲にされる存在なんだ、これは操られている、受け入れろ」ということだと取った。彼は「フロイド、真実を話せ」とは言わなかった。言われたとしても話しはしなかったろうが。ただ彼がそれをどう言ったのかをはっきりさせたいだけだ。俺にとってはそれは同じではなかった ー彼が意図したことがそうなのか違うのか、俺にはわからないが俺はそう取ったんだ。

フランキー・アンドルーが告白したのはその頃ではなかったか?

ああ、確かその冬、2006年の終わりだったと思う。

それは何らかの意味できみの助けにはならなかったのか?

その時俺は彼を羨んだ。俺は彼がしたことを見ていた。彼は「僕はこれをした、気分が悪いし悪いことをしたと感じている。」と言った。そしてそれだけだった。だが俺はそんなものは過ぎていた、俺はもう滝へと身を投げていたんだ。
俺は同じように言うこともできると解っていた。俺にとってはそれでは終わらないだろうとも。俺は放っておいては貰えなかっただろうし、それができる精神状態ではなかった。俺にはできなかった。だから俺は彼を羨んだ。彼がそう言えること、そしてそのままにできることを羨んだ。俺もそうできれば良かったのにと思ったんだ。
でも俺は真実を話そうとすることの複雑さを知っていた。そして事態を更に複雑にしたのは、俺が人を巻き込みたくないと思っていたことだった。俺にはまだ、俺が大切に思い、好意を感じていて、この経験をさせたくないと思った人々がいたんだ。多分彼らは少なくとも、レースをして、生活できる金を稼いで、やりたいことをできる時間を5年長く持てたと思う。俺は彼らにそれだけでもさせてやれたことで少し気が安まる。他の人の名前を出したことで俺は永遠に苦い思いを受けるだろうが、他にどうやってこの話をしたらいいのか解らないんだ。そして話は真実を明かすまで終わらない、そこには他の人間が絡んでいる、それは辛いが、だけど…

わかった。ではきみはマドリッドでの失敗のあとカリフォルニアに帰った。そして、その2週間後だな?デイヴィッドが自殺をしたのは。

多分俺が家に帰ってから1週間後…つまりツールが終わってから約2週間だ。

きみにとって辛いことだと承知しているが、話してくれないか。

俺はそれが起きる前の数日、ほとんどの時間をハワード・ジェイコブスや弁護士たちとの電話し何をしたらいいのかを探ることに費やしていた。アンバーの弟、マックスが、俺たちのところに滞在していた。彼は裏口のところに立っていて、電話が鳴って、ローズ(彼の母親)からだったので、彼はそれに出た。彼は「もしもし」と言い、それから彼の声は引きつり、顔は蒼白になった。彼の反応を見て俺は即座に、デイヴィッドが死んだのだと、悟った。他に何かあるわけがない。彼は気を失いそうになった。俺は彼を掴み、座らせて、こう言った「マックス、電話をかせ」彼は「だめだ」と言い、俺に電話を渡さなかった。そして泣き始めた。俺が「電話をかしてくれ。」と言うと、彼はようやくそれを俺に渡した。「ローズ、何が起きたんだ」彼女は「デイヴィッドが自分を撃ったの」と言った。俺は「死んだのか」と聞いた。彼女は、彼が死んだとは認めたがらなかった。彼女は「脳はまだ反応があるの、いま病院にいる、だけど助かるかどうか解らないのよ」と言った。「わかった、ローズ。あなたはいまどこにいる?」「病院よ」「すぐ行くから、そこに居てくれ。」そして俺たちは病院へ行き、病院の医師は俺たちを彼に会わせてくれなかった。彼は頭を撃っていたから。アーニーもそこにいた。彼はアンバーとローズを何とか慰めようとしていた。彼の言っていたことを覚えている。「心臓病や他の病気の人はよくいて、助かることも助からないこともあるけど、人はあまり心の病を同じようには見ない。だけどそれも同じなんだ、助からないこともある。デイヴィッドはずっと鬱で苦しんでいた、それは時には命を落とすものなんだ。」奇妙だが、このことは俺には実のところ何の影響もなかった。俺は既に打ちのめされていたから、ただ受動的に反応しただけだった。気にしなかったということじゃなく…俺は既にどん底にいて、それ以上悪くなりようがなかったんだ。ローズは完全に取り乱していた。彼女は俺たちの家に来てしばらくそこにいて、俺は機会があるたび彼女と話そうとした。「きっと大丈夫だ。俺がきっとどうにかする。きっとこれを乗り越える道が見える。」だがその時、実際には俺はそんなもの見えていなかった。俺はもう先のことは見ていなかったからだ。俺は長い時間がかかると分かっていなかった。そして長い時間がかかると分かっていなかったのは、きっと良いことだったのだろうと思う。もし分かっていたら俺は、生き延びていたかわからない。

そうなのか?

ちょうどその後、俺は胸の激しい痛みで病院に行った。俺は自分は死ぬのだと思った。いろいろ検査を受け、死ぬのだと思ったんだ。何が起きていたのか解らなかったが、多分ストレスからのものだったのだろう。俺はMRIやいろいろ検査を受けて、異常はなにもなかったが、それは1週間ほども消えなかった。正直なところ、あれ以来それは戻って来なかった、今(このことを話し出す)まで。だがあの時とは違う。あの時は俺は腕を頭より上にあげられなかった。胸が締め付けられ、今またその感じがある…だが心配するな、あんたのせいで倒れたりしないから。こうしたことはいくつもあって、俺は即座に無視して考えないようにするしかなかった。でなければ耐えられなかった。俺はその頃、すぐ目の前にあることにしか対処できなくなっていた。そして俺がした判断はほとんどどれも、まるで視野が狭く先のことが見えていないものだった。多分、外側から見れば、誰もが「おい、どうしてただ本当のことを言ってしまわないんだ?」と言っただろう。だがそれはそんなに単純じゃなかったんだ。そして言ったからといって何かが良くなる見通しもなかった。俺の人生は、本当のことを言おうが言わなかろうがもう真っ逆さまだった。その時俺は既に、進む道を変えることをただ考えることすら、できる精神状態ではなくその意欲もなかった。

きみがマドリッドから戻ったとき、デイヴィッドはきみに会いに来なかったのか?

いいや。彼のレストランはあまり上手くいっていなかった。俺はもう彼に金を貸していて、必要ならそれ以上でも喜んでいくらでも出したが、もし彼が必要なら彼の方から言ってくるだろうと思って電話しなかったし、ただ…会わなかった。それほど長い時間ではなかったが、親友同士なら会いに行くだろうとは思える時間だった…だから、俺が一番の友人に会わないでいたのは奇妙に聞こえるかもしれないが、俺は彼も同じように考えていたんだと思う。彼も俺と同じように考えたから、俺がなにか必要ならきっと俺の方から頼むだろうと思ったんだ。それに彼は俺に面倒をかけたくなかったんだと思う。一度か二度、電話で話したが、彼には会わなかった。たった1時間のところに住んでいたのに…

彼と電話で話したときは?

彼は普通に振舞っていた。俺にストレスを感じさせたくなかったんだ。彼は何も言わなかった。

自分の命を絶つ人々の動機は決めつけられはしない。

ああ、できない。だが問題は、あれ(ツールを勝つこと)はあまりに偉大な出来事で、とても大きなことで、どうしてそれに続く中で起きたことを切り離して考えられる、何も関係ないと言える?それでももう何も違わないほど俺はどん底にいたから、そう難しくはなかった。ただまた「向き合えるようになるまでは忘れておくこと」リストに加えただけだ。もしそれを考えるのをやめていたら、俺はただ諦めていたかもしれない。どういうことかわからないが、見つけ出したくなかった。

きみが調停裁判へ進み金をすべて法廷の闘いに注ぎ込もうと決めたのは…つまり、きみは実際にドーピングしていたわけだがー それはどういう論理だったんだ?

俺がすぐした対応は単に「俺はこれをしなくちゃならない、今すぐ認めるなんて考えられもしない」というのの一つだ。だが少し時間が経って、俺が事件の詳細と状況を理解し始めると、俺はそれがどう扱われたかについて、より怒りを感じるようになっていった。俺はテストの手順にも、研究所のいいかげんなオペレーションにも怒りを感じていたが、何より政治的なものが作用し、俺が取り除かれ(スケープゴートにされた)そのやり方に怒りを感じた。俺はランスが持っていたものを持っていなかった。ランスはツール・ド・フランスで陽性を出し米国自転車連盟は彼を擁護した。俺はそいつらと話し、彼らに助けを求めた。彼らはただ俺にそう(俺はチームがあると)言い、レースに戻れと言った。俺は、何をしようが、ただ黙ってさえいれば俺にはチームがあると、そう言い聞かされたんだ。

2年の資格停止を受け犠牲になったことを受け入れて、金を使わずにいるというオプションは?

金のことなんか誰が気にする?誰が?

きみはしないのか?

しない、当たり前だ、俺は以前も金がなかったし今も金がない、同じ俺だ。金があるのはいいし金があれば色々なことが簡単だが、他のことをやっても金は稼げる。別の人生を始めて人に金持ちなんだと言ってまわる必要はないーそんなことが一体なんだ?ああ、金を全部使ってしまわなければよかったとは思っている。ある時点では俺はまたレースに戻りそれなりの金を稼げると思っていたが、だからといって他のことをして生きられないのではないかと心配していたわけではない。だがその質問への最終的な答えはは「誰がそんなことを気にする?」だ。もっと金があったらそれだけ使っていたさ。

きみの本「Positively False 」のどれくらいが虚偽だ?

ドーピングについての部分。俺の人生についてのところは、俺はとても満足しているし誇らしく思っているが、不幸なことに…ドーピングについての部分には問題がある。それは「今まで一度でも犯罪を犯したことがあるか?」なんて聞き方はできない刑事事件とは違うんだ。つまり、スピード違反で争いになったとき、「今まで一度でもスピード違反をしたことはあるか?」とは聞けないだろう。ドーピングをスピード違反と同じに扱う気はないが、何もなかったと言う他ないんだ。もし俺が何かを認めたら、彼らはテストステロンの件は取り下げそちらで俺を捕まえるだけだ。

フロイド・フェアネス・ファンド(訳注:Floyd Fairness Fund「フロイド・ランディスへの公平な扱いを求めスポーツでのアンチドーピングの最も効果的な方法について進歩を提唱する基金」)について話してくれ。きみには大口の寄付者も、小口の寄付者もいた。私が今きみに見せる写真はある小口の寄付者でこう書かれたプラカードを持っている「フロイドは無実だ」(彼に写真を見せる)
その時きみは何を思っていた?

それは別に平気だった。もし彼と向かい合って何が起こったのか話す時間を10時間与えられたら、彼はきっと解ってくれると知っていたからだ…理解してはもらえないかもしれないが、少なくとも俺がどうしてその結論に達したのかをもっとよく知ってもらえるだろう。彼は同意はしないかもしれないが、少なくとももっと全体像が見えるだろう。だけど俺は彼に伝えられない。俺は真実を伝えられない、なぜなら俺が事実を記者に話せば、それは正しくは伝わらないからだ。俺は他の奴らに引き裂かれるだろうし、彼にどうして俺がそうしたのか、ただその時間がなくて説明できないだろう。伝えられたらよかった。一人一人と直に会って説明できたらよかった。だが一体どこから始めればいい?最初まで戻ってか?つまり、それが俺はただ自分について知っていることだけ言うべきだというジョナサンの意見に俺が感じた問題だ。それではまるで話にならない。それは真実じゃない。それはドーピングだけで終わる話じゃないんだ。そして全体が見えなければ何も分かりはしない。 あんたも分からないかもしれない。俺はそれを説明しなくてはいけない立場になりたくなかったが、結局俺はそれを説明しないでは整理をつけられなかった、だから俺とあんたは今こうしている。だが俺が(その頃)真実を話して、それで俺の感じることが変わったかどうかわからない。俺はまだショックを受け、とても酷い気持ちだった。起きたことを何もかもただ受け容れることさえあまりに難しく、真実を言う用意なんかなかった。説明しようとする準備ができていなかった。ああ、きっと俺は長く待ち過ぎたが、俺はこの5年間に感じたことを言葉にはできない。せめて皆が悪いように取らないでくれるようにと願っているよ。

大口の寄付者についてはどうだ?きみはそれらには話したのか?

ああ、大体には。それらの多くはテイルウィンド・スポーツか米国自転車連盟と金銭上の利害関係があったので、俺は彼らに事実を話し、それで彼らが援助してくれたら…俺は、ジム・オショヴィッツと米国自転車連盟の会長兼CEOのスティーヴ・ジョンソンから助言されていた。俺は彼らとオープンに話し、彼らの助言は「乗りきるんだ、そうすればきみはまたレースに戻れる、申し訳ないが我々はきみを助けられない」というものだった。彼らのせいにするつもりはない、俺は自分で真実を言ってもよかったんだ、誰かを責めようというつもりはない。だがすべてが、賢い、分別ある行動というのは、ただ黙って家に帰ることだと示していた。でも俺にはそれはできなかった ―個人的な問題かもしれないが― 俺はただそれを受け入れてひっこむなんて出来ない。大局を見れば俺は間違っていたが、俺は自分が正しい部分にこだわり自分の頭の中でそれを正当化していたんだ。

[9]へつづく)

(Source: nyvelocity.com)

ポール・キメイジによるフロイド・ランディス インタビュー(6)

[5]からつづく)

キメイジ:2週間後に、レキップ紙が「アームストロングの嘘」として冷凍保存されていた1999年ツールの彼のサンプルからEPOの使用が判明したと報じる記事を載せたとき、きみはどこにいた?

ランディス:確かカリフォルニアに帰っていたんだ、信じないかもしれないが、俺はそれほど注意を払わなかった。スティーヴ・ジョンソン(アメリカ自転車連盟の会長)が彼を擁護するのを見たからだ。俺はそれで、何があっても彼はまだ守られているのだと確認したんだ。

きみは2005年にどうドーピングを行っていたんだ?ウォールストリートジャーナル紙の記事ではこう書かれているが。

「ランディス氏はバレンシアで輸血を行うためにスペイン人医師を雇い、2005年ツール期間中、半リットルの血液バッグ2つを2回別々に届けさせ、1人に1万ドルを支払った。」

2004年にUSポスタルサービスはチームドクターだったルイス・ガルシア・デル・モラルを追いやった。俺は彼がいつも輸血をしたりするときの輸送を取り仕切っていたりしていたのを知っていたので、単に彼に連絡して俺にしてくれないかと頼んだんだ。俺は彼にそのために金を払った。

デル・モラルに?

ああ。

きみはデル・モラルに金を払ったのだな?

そうだ。

それは「効いた」か?

効果があったかって?ああ、俺が2005年に、2004年や2006年ほど調子が良くなかったのは、その冬手術をして何週間も歩いていなくて、調子を戻すのにしばらくかかったからだ。薬物を使っても使わなくてもそれは変わらない。2004年も2005年も2006年も俺は同じものをやった。違ったのは股関節の問題があって、その治療とかそうしたことだ。つまり、俺は最初(2002年)以外、出たツールすべてで全く同じ量の血(自己輸血)をやった。最初の年は500ミリリットルの輸血を1回やった。そのあとの4回は1000ミリリットルづつだ。2006年には3回に分けた。その方が検査に対して血液のパラメータを一定に保ちやすいからだ。だが入れた総量は同じになった…つまり、デル・モラルは、あいつは他の奴らと同じように、ドーピングなど見たことはないと言っているが、あいつが本当にやったのはそういうことだ。

わかった、では2006年のツール・ド・フランスが迫り、ランスは引退し、きみは有力候補で自分自身の名前でスターとなった。有名人になるのはどんな気分だった?

ある意味では不快だったが、俺は自分の股関節はいつまでも保たないし、もし人工関節に置換したら…2度とレースには戻れない可能性が十分にあるのを解っていた。だから俺は、これは一時的なものだということを、いつも感じていた。それのいいところは永遠には続かないということで、それは気に入っていた。良い扱いを受けるのと、自分に勝利へのプレッシャーをかけることがそれと共に来たが、俺はあまり気にしていなかった…だから、ああ、良い気分だったよ。だが俺の時間の大半はトレーニングかツール・ド・フランスを勝つことに集中するのに使われていた。ロックスターの家に遊びに行ったりとか、そういうことはしなかった。俺はツールに集中していて、それだけだった。

金があることはきみに何をもたらした?きみに何をした?

何も。俺が使った金はそれまでと同じだった。俺は何も変えなかった。速い車を買ったりもしなかったよ…

ハーレー・ダヴィッドソンは?

ああ、ああいうのはステイタスシンボルみたいに見えるっていうのは解ってるが、俺があれを買った理由は ―あんたには笑われるかもしれないが― 2005年や2006年には、レース外のテストがもっと行われるようになってきたんだ。あれを買ってガレージに停めておけば、フェイスマスク付きの黒いヘルメットやバイク用ヘルメットを被れる。マックス、そのころの俺の義理の弟はいつも俺のトレーニングに車でついてきてくれていたから、俺は彼に外に出て誰かいないかを見てもらっていた。誰かいたら、俺はハーレイに乗って去るんだ。

済まないが、よくわからないんだが。

もしドーピングコントロールをしようと待っている奴らが見えて、俺が家にいたら、俺はガレージにいってヘルメットとフェイスマスクをつけジャケットを着てモーターバイクで逃げるんだ。奴らはそれが俺だったと言うかもしれないが、俺はただ「何を言ってるのかわからないね」と言えばいいだけだ。見つかってから逃げたらドーピングテストを逃げたということになる。俺があれを買ったのはそのためだ。実際には一度も乗らなかった。

そのために買ったのか?

そうだよ(笑う)。雑誌に載せるのはそこがよかった。いや、酷い話だ、俺は笑ったりするべきじゃない。俺はそうしたリスクを冒して、スリルとか満足を味わっていたわけではないんだ。リスクの部分を楽しめる奴もいるのだろうが、俺はその部分は好きじゃなかった。

好きではなかった?

ああ、俺にとっては単に実用性の問題だった…俺はこれをやらなくてはいけないんだという…俺はこれをやり抜けなくてはいけないんだ。俺にとってはスリルよりストレスだった。好きじゃなかった。

そのことを、実際にはどう思っていたんだ?

それだけだ。俺にはやらなくてはいけないことがあった。トレーニングや、レース外のテストでもレースでのテストでも捕まらないようにすること。検出されるものはそれほどやらなくて良かったわけだが…

きみは2005年に自己輸血に失敗したか?

いいや。

輸血に失敗したことはあるか?

いいや、知る限りはそんなことはない。時々、他の時よりも効果的に感じられたことはあったが…薬物っていうのはつまり、40%ものアドバンテージがあるように報道されることすらあるが、薬抜きの自転車レースで起きることは、薬ありのレースでも起きるんだ。調子のいい日もあれば悪い日もあるし、それ以外にも様々な不確定要素がある ―良く眠れなかったり、食べられなかったり、良い日悪い日があるんだ。薬物という要素がくわえられるたび、奴らは起きたことをいつも何もかも薬物のせいにするが、それは薬があろうがなかろうが起きたんだ。薬は単に、それ抜きだった場合との速さから相対的に速くなるだけだ。どれくらいかは解らない、効果はあるが40%まではない。効果がないわけはないが。

2006年は君の最高のシーズンだった。 きみはパリ~ニース、ツアー・オブ・ジョージア、ツアー・オブ・カリフォルニアを勝ち、ツール・ド・フランスの有力候補だった。オペラシオン・プエルトとウルリッヒやバッソといった選手たちの除外という重い雲が垂れ込める中、レースはストラスブールからスタートした。こうしたことが起きているあいだ、きみは何を思った?

俺は真剣に、何もしないことを検討していた。俺は本当に「リスクは一切冒さない」と言う一歩手前まできていた。だが全体を考えたとき、事件が明るみ出てああして公になっても、人々の見方は変わらないだろうと思った。UCIが物事を扱うやり方も変わらないだろうと。奴らは隠蔽を行っていた張本人で、突然ジーザスを見つけて改心するわけじゃない。だから俺は、リスクは過去のツールと同じだと考えた。それが俺の観察だったし、事実そうだった。普通と違ったことは何も起こらなかった。警察の捜索も、UCIのやり方の変化も、何もなかった。それでも俺は手を引くことを検討した。UCIが「よし、これは我々にとってチャンスだ、何もかも焼き尽くして1からやり直そう」と言い出す可能性はあったからだ。だが、もし彼らがそうして以前は検出できなかったものについて過去のサンプルをテストし始めたら、俺はどの道捕まるかもしれない。それならどうしてただ勝とうと試みない?リスクがどれくらいかはっきりさせるには複雑な問題だったが、俺の結論は、それは以前からさして増してはいないだろうというものだった。だから俺は、ある種それを受け容れ、計画通りに先へ進んだ。

血液の保存と輸送はどうやっていた?

さして難しくはなかった。血液は凍結ぎりぎりの温度に保たれなくてはいけない。特別な医療用の冷蔵庫を持っていないなら、俺は持ってなかったんだが、一番簡単な保存方法は、大きなボウルに氷水をいれて冷蔵庫に入れておくことだ。水の中に氷がある限り零度近くの温度に保たれるから、そこに入れておけばいい。医療用の器具は何も必要ない。手に入れるのが難しいのは血液バッグだけで、俺はスペイン人(のチームメイト)やデル・モラルや、誰でもいいから手に入れていた。それさえあれば、あと必要なのは氷水だけだ。

あのツールのために血液をぬいたのはどこだ?

スペインの、俺のアパートメントでだ。

きみはそれを自分でツールに持って行ったのか?それとも誰かに渡したのか?

人に渡した。あんたに名前は言えないんだ。当局に明かしているから彼らが…つまり、何人かの名前は俺はまだ明かしたくないんだ。当局がしなくてはいけないことをを全て終えるまで。

輸血を受けたのはいつだ?

最初の山岳ステージの前に1回。それから…俺がしたのはこうだ。あまりに通常範囲から外れたヘマトクリット値のままツールをスタートすることはできない。だから俺は直前の血液検査があるまで待って、プロローグの前夜に300ミリリットルの血液バッグを輸血した。そして俺は(ヘマトクリット値)44でスタートした ― 多少バラつきは出るが、直後にテストされても問題になるようなことはない。それから最初の山岳ステージの前に1回、そのステージで俺はレースリーダーになった。それからアルプス初日の前にもう1回した。ハードなステージの前にやるのが簡単なんだ、ハードな走りをすればストレスホルモンとかで値は自然に下がるから…コースプロフィールを見ればきちんと答えられる。質問をメールで送ってくれ、具体的に教えるから。確かどこかに書き残してあるはずだ。

きみはピレネーのバル・ダランでマイヨジョーヌを手にし、2日後それをペレイロに奪われた。そしてアルプ・デュエズで奪い返し、翌日ラ・トゥッスイールで失い、その次の日、モルジーヌへのエピックな走りで主役の席に戻った。そこできみはドーピングコントロールを受け、きみのサンプルからはテストステロンの痕跡が検出された。それはどこから来た?私の推測では、輸血した血液に入っていたのではと思うが。

それが多くの人が立てた仮説だ。その時俺はそれに対して反論できなかった。「俺が輸血をしたのはいつで、陽性になったのはいつで」なんてことは言えないからさ。だが彼らは遡ってBサンプルに他のテストをし、そこで彼らが出してきた陽性のパターンは血液バッグとは関係がありようがなかった。単にめちゃくちゃなんだ。テストはとても複雑で、他の誰かが実際に彼らが何をやっているのか確かめることもないまま彼らは俺を有罪にした。その研究所は…彼らは多分いいテストをしているのだろうが、出してきた結果はまったく説明のつかないものだった。彼らは結局テストステロンを特定できなかった。そして馬鹿げているのは ― その前の年には俺は実際にテストステロンをやっていた ― クリーム状のやつをレースの間ずっと ― そしてその間はテストを受けても陽性を出さなかった。だがそれから俺は、どうせ薬物を持ち歩くのなら注射器に入ったものを持ち歩いても同じだと思った。テストステロンをやるほうが簡単だが、成長ホルモンのほうが良く効いたんだ。

「良く効いた」というのはどういうことだ?

もっと良い感じがしたんだ。ホルモンの類の効果は後からくる。アンフェタミンやその手のすぐに違いを感じる即効性のある薬物とは違う。差は僅かだから注意を払っていなければ分からない。他の物より速く効くアナボリックもある。喉が渇くものもある。俺には、成長ホルモンはステロイドのような硬くなって腫れたような感じがなかった。そして成長ホルモンには、単に物理的に所持しているという以外(検出される)リスクがまるでなかった。だからそれをやろうと決めたんだ。USADA(USアンチドーピング機構)は俺に事実とテスト結果をすり合わせるよう求めた。俺は彼らもWADA(世界アンチドーピング機構)も貶めたくはない、そこには正しいことをしようとしている人々がいるんだと思っているから。だがこの無過失責任というので、誰もが自分の体内に入ったものは自分の責任になるというのなら、それはしっかりしている必要がある。俺は確かにツールの準備にテストステロンを使った。俺は代謝クリアランス率が何かも知っているし、今では炭素同位体テストがどういうものなのかももっとよく知っている。炭素同位体内のデルタ変化がどの程度続くはずか、そして時間経過とともにそれがどの程度低下すべきかも知っている。そして俺はそれらと輸血との整合をとれない。俺には結局何が起こったのかわからない。

よし、少し戻って起きたことをレースに当てはめていこう。きみはモルジーヌへのあのエピックな走りをし第17ステージを勝ったが、きみは実際にはマイヨジョーヌを奪い返せはしなかったな?

そうだ。

きみがそれを奪還したのは最後のタイムトライアルでだ。

ああ。

ではタイムトライアルの前にきみにはまだプレッシャーがあったか?まだやらなくてはならないと?

ああそうだ、だが俺はわりあい自信があった…つまり、俺はペレイロを知っているし、奴にはまだやってない新しいトリックはないとわかっていたから…俺は彼とそれについて話して、彼は輸血をあともう1回すると言っていたが、それでも俺のほうがタイムトライアルは上とわかっていたから、心配はしていなかった…

きみはペレイロとそれについて話していたのか?

ああ、ペロトンでは俺たちはこういうことをオープンに話していた。だから俺の前に誰もそうしなかったのが信じられなかったんだ。俺たちは文字通りオープンに話してた。奴は自己輸血と、あと人工ヘモグロビンかなにかをやっていた。

冗談だろう!

ああ、それから奴は俺をいけにえに仕立て上げた(笑い)俺は4年もそれに耐えてたんだ!

畜生!

畜生さ、本当に

ひどい驚きだ。

(笑っている)これは馬鹿げた話なんだ。長い長い、馬鹿げた話だ。

[7]につづく)

(Source: nyvelocity.com)

ポール・キメイジによるフロイド・ランディス インタビュー(7)

[6]からつづく)

キメイジ:USポスタルではどうだった?彼らは輸血をやっていることを言ってまわってはいなかっただろう?アームストロングも?

ランディス:彼らは知ってたよ。みんなその事は他の連中ともとてもオープンに話していた —アームストトングはそうでもなかったかもしれないが、他の連中は。たしか2003年だが、こんなことがあった。俺たちは前夜に輸血をした後で、輸血はきちんとやらないと、きちんと留めて圧力をかけていないと、針が太いから(痕/アザが残る)。(翌日に)俺の隣にマイケル・ボーヘルトがやってきて、俺の腕を指さして、にやっとウィンクをした。それから彼は自分の腕を指さした…「オレも同じことしたぜ」って感じでね。

私は驚いている、だがきっと驚くべきではないんだな、これは理に適ったことだ。先頃コンタドールが捕まったとき、バッソやシュレクは彼を擁護した。

ああ、問題はそこだ —ペレイロは逆の事を、俺が彼から(ツールを)盗んだと言ったんだ。だがあいつも有罪だ。

そうだな、それはなお悪い。

悪いかどうかは解らないが、俺にとってはより受け容れ難かった。おまえが言うか?畜生!俺にはわからない。つまり、奴らが言うべきだったことは「みんな免除されている—一体何事なのか教えてくれ」ということだ。俺がUSADAとWADAに提案したのは、全員を免除し事実だけを解明しろということだったが、だが彼らはそうはしないだろう。

わたしにとっては、きみがドーピングしている、もしくはあのツールでドーピングしたのだろうと思わせた出来事は、きみが記者会見でオペラシオン・プエルトで捕まった選手について尋ねられた時だ。きみが回答を拒否したことが、わたしにとってはそれを物語っていた。

そうだろうと思う、俺は嘘を言うのは嫌だったんだ。質問を覚えている。尋ねられて、どうにかそれを直接に答えないようにしようとした。だが、俺が陽性を出してからは、俺はそれらに答えなくてはいけない立場になり、俺は決断しなくてはいけなかった —どうしたらいいのか?と

その話の前にまずシャンゼリゼでのことを話そう。フロイド・ランディスは史上3人目のアメリカ人ツール・ド・フランス優勝者だ。ブッシュ大統領から電話がかかってきたな?

ああ、ステージが終わってすぐ後、ディナーの前にホテルに戻って来た時に。

アームストロングもきみに電話してきたか?

確かアームストロングとも話した。彼が何を言っていたのか覚えてないが…

きみはどんな風に祝った?

フォナックとアンディ・リースはレストランバーを借り切ってパーティを開いた。スポンサーやチームの友人がみんな来ていて、全部で150人はいた。ツールのビデオを作ってあって、いろいろなシーンが映された。それからフォーマルなディナーがあり、そして皆が立ち上がって話して、楽しかったよ。確か夜中の2時くらいまでそこにいた。もっと続けた奴もいたと思うが、俺は疲れていたのでホテルに帰った。俺にはそれが普通だった。ツール・ド・フランスの後には飲んで回るやつもいるが、俺は一度脳がオフになると、疲れてそれでお終いだ。午前中にケイ医師(彼の友人のブレント・ケイ医師)が飛行機で来てくれていて、ステージを見てパーティにもいた。俺の友人が沢山来ていた。デイヴィッドとローズもいた。彼らは次の日ライアンと一緒に飛行機でアメリカに帰って行った。俺が生きたデイヴィッドを見たのは、その時が最後だった。その時が。

アンバーも帰ったのか?

いいや、アンバーは残って、俺とオランダの方のクリテリウムに来た。一週間くらい滞在して、それから家に帰るはずだった。3日ほどか、それくらいで、その知らせを受けて、アンディ・リースと弁護士に会うため真っ直ぐパリへ戻った。

少し戻ろう…火曜日の夜に、きみはスティップホートのクリテリウムに出ていたな。

ああ、多分そうだ。

では、その知らせを受けたのは水曜日の朝だったな?

そうだ。

どうやって聞いた?

俺はホテルの部屋にいた —アンバーと俺は会議室、居間とベッドルームのあるスイートルームに泊まっていた。起きて朝食をとったすぐ後、俺はジョン・ルランゲの部屋から電話を受けた —彼も楽しむためにクリテリウムに一緒に来ていた。彼はこう言った「フロイド、話さなくてはいけないことがある。君の部屋に行ってもいいか?」彼の声はひび割れていて、とても取り乱していた。俺は、何かとても間違ったことが起きているのがすぐに解った。彼と知り合って2年ほどになっていたが、あれほど不安な彼の声は聞いた事がなかった。俺は「どうしたんだ?」と聞いた。彼はただ「君の部屋に行く」と返した。俺は電話を切り、これから告げられることへの恐怖で身体が動かなかった。

きみは解っていたのだな?

ああ、すぐに解った。

直感的に?

ああ、ただ彼の声のトーンだけで。俺の人生であれほど緊迫した声を聞いた事はない。俺はそれがフォナックとドーピング絡みのことだと解った。唯一の希望は俺自身のことでなければというものだったが、だが内心自分だと解っていた、でなければ彼は電話で話しただろう。彼はあきらかに取り乱したまま俺の部屋に来て、彼の手は震えていた。俺たちは会議室に入り扉を閉めた。彼はすぐに言った「フロイド、チームから陽性が出た」俺は「誰だ?」と返し彼は、君だと告げ、俺は椅子に座り込んだ。彼はテーブルを挟んで俺の向かいに掛けた。「何のだ?」と聞いた。彼は「解らない、オフィスのマルティナからたった今それを知らせるファックスがあったと電話が来た」と言った。

「何のだ?」と言ったわけか。

ああ、俺は自分が何をしていたかは知っていたし、股関節のために使ってたコルチゾンかもしれない、それなら単に手続きがうまく行われなかっただけかもしれない、と思ったんだ。それだけが俺が頭の中でしがみつけるものだった。

きみは治療でコルチゾンを使う許可を持っていたからだな?

そうだ。彼は言った「わからないがそのファックスを受け取らないとならない。本部からここに送られてくるはずだ。」その時俺は地球上の何よりも一人になれる場所が欲しかった。だがその後何週間もその機会はなかった。俺は居間に戻り、アンバーには言いたくなかったが、俺の顔を見て彼女は何かが起こったのだと察し、俺には選択の余地はなかった。俺はカウチの彼女の隣に座り、陽性を出したと伝えた。彼女は泣き始め、どうしてそんなことになったのかと尋ねた。俺は心配しなくていいと言おうとしたが、とてもできなかった。ルランゲが「君だ」と言った瞬間に、俺の人生は滅茶苦茶になりもう元通りにはならないと、わかったからだ。俺は冷たい汗をかいて頭はまるで動いていなかったが、どうにかしてアンバーに俺たちは大丈夫だ、俺は必ずこれをどうにかするから、と約束しようとした。だがあんな感覚は感じたことがなかった。それからひと月ほど俺はおかしかった。少なくとも2週間はまるで眠れなかった。ただ目覚めたまま横たわっていた。長引くほど酷くなり、俺はまるで物事を決められなくなっていった。はっきりと考える事ができなかった。

それから何が起きた?

そこで半時間ほど待ってファックスが来た。それ(陽性)はテストステロンだとあり、俺は「そんなわけがない。ありうるものを考えたが、これのわけはない。一体どうしたらいいんだ。」彼は言った「ここを出た方がいい、記者が見つけてくる。パリに戻りアンディをそこへ呼ぼう。」それで俺たちは車に乗り、ツールを勝ったその夜にいたホテルへと戻った —エッフェル塔の見える大きなスイートルームに— そして俺はもうその部屋にいるのが耐えられなかった。それを考えただけでも今でも胸が苦しくなる。それから起こることを知っていたからだ。どんな選択をしてもそれは醜悪なものになるだろうと解っていた。精神的にも肉体的にも、俺はその備えがなかった。俺は疲れていて、フランスにいて、もうただそこから逃げ出したかった。そこに居たくなかった。だからその晩アンディと彼の弁護士たちがそこへ来るまでに…

アンバーはどうした?

彼女はずっと俺といた。水曜から木曜の朝はずっと弁護士や、フォナックの人間と話していたが、彼らの主な懸案はアンディ・リースの問題をどうするかだった。彼には以前にも起きたことで、それからフォナックは公開会社になっていたから、彼はどうにかそれを切り抜けなくてはならなかった。だがそれは連続した一日のようだった。水曜日の朝も木曜日の晩も、その次の土曜日も、まるで同じ日だったように感じる。最近まで、ずっとそれを考えていた。正直に言うとツールから何ヶ月も後だったと思っていたんだ、だが実際にはたった2週間後だった、デイヴィッドが自殺したのは。俺にとっては永遠と同じほど長い時間だった、俺はもう時間の流れが解らなくなっているかもしれない…

木曜の晩にアメリカのメディアとの電話会見があり、きみは運動能力向上薬物を使用したことがあるか問われた。きみはとても、とても動揺していた。きみの応えはこうだった

「ないと言うつもりだ…問題は人々が自転車競技について、過去に起こってきたことから既に何らかの考えを持っているということだ。だから私は、多くの人が私に弁護の機会を与えず有罪とするだろうと解っているが、ないと言うつもりだ。」

ああ、そう言った、俺はまだ嘘を言う覚悟が出来ていなかったから、正しい答えはなかった。俺は自分がこんなことに答えなくてはならないことを信じたくなかったし、ただ「ない」とは言いたくなかった。だから最初に頭に浮かんだことを言った…「ある」と言ったかもしれない…

わたしはきみが「ない」とは言わなかったことを興味深く思った。

言いたくなかったんだ、だが「ある」とは言えなかった。俺にはその能力がなかった。俺はそんなに強くなかった。俺はあまりに疲れていた。あまりに動揺していた。俺はあまりに疲弊していて、「ある」と言うかを考えることすらできなかった。もし「ある」と言ったら何が起きるかも解っていた —俺は何十万もの問いを受けるだろう。「ない」と言い、ただ否定し続ければ…だがそうし続けると決められもしなかった、俺は考えられなかった。それ(そのニュース)は木曜に出て、金曜には大新聞の一面になり、俺はシャルル・ド・ゴールからスペインに飛ばなくてはならなかった。その時には俺はただ誰からでも…どうしたら良いのかについて、もらえる助言は何でも受けた。

ああ、あれは奇妙に思えた。きみはどうしてマドリッドに行ったんだ?

わからない、彼らは俺にマドリッドに行けと言ったから、俺はマドリッドに行った。

彼らとは誰だ?きみに助言したのは誰だ?

俺は(フォナックの弁護士に)どうしたらいいのか尋ね、彼らは「我々はあなたの代理人にはなれない、我々はアンディの代理人なので」と言った。それで俺はチームメイトの(ミゲル・)ペルディグエーロに —彼は俺とツールに出ていた— 頼んで、彼は「スペイン人の弁護士なら知っている。彼らはドーフィネでの(イニゴ・)ランダルセのテストステロンの件を勝ってる、彼らと話したらいいんじゃないか」と。俺は「完璧だ、何をしているのか知っている奴らだな、よし俺はそこへ行こう」と言った。それで俺たちはパリからマドリッドへ飛んだ。俺はあらゆる新聞の1面になっていて、俺はシャルルドゴールを歩かなくてはならなくて、あれほど怯えたことはなかった。どうしてあんなに恐ろしかったのかわからない…誰にも見られたくなかった、もう消えてしまいたかった。そしてマドリッドに着いて、弁護士たちはこう言った。「記者会見を開く」俺は「だめだ、記者会見は開かない。俺はやらない。俺はとてもやり抜けられない。昨日電話(会見)をしたばかりでそれですら俺にはとてつもないストレスだった、もう出来ない」と言った。それで彼らはまたやって来て「カメラの前でリポーター1人と話すだけだ、言うことはここに書いてある」と言ってきた。彼はそれ(声明)を俺に渡し「よし、階下に行こう」と言った。それで俺は「リポーター1人だけだ」と思い、下に行った。そこにはロビーに80人くらいの人間がいて、彼らはそいつらを俺から遠ざけるために何もしてはくれなかった。そいつらは待ち構えていた。興奮していた。テレビに映ってる—そいつらが気にかけていたのはそれだけだ。

弁護士たちはどうした?

弁護士、あいつらは酷いもんだった。彼らは俺をその部屋に連れ出して言う事が書いてある紙切れを渡し、それはスペイン語をグーグル翻訳したような酷い文だった。「それを読め、私たちがスペイン語に訳すから」と言うので、俺はそれを読んだ、意味が通るようにところどころ変えたが、それでも読み終わる頃には自分でも「くそ、どんな間抜けに見えるか考えたくもない、自分でも何を読んだのかわからない。まるで意味がわからない。」と思っていた。それから彼らがいくつか質問を受け、俺はすぐそこから出来るだけ遠くに離れた。「家に帰ろう。別の弁護士が要る。ただ何もなかったように振る舞うんだ。」と思った。つまり、俺はそこで、テストの結果も知らないのに、あれは自然に生成されたテストステロンだと言っていたんだ!俺は何も知らなかった。だが言ったように、俺はその時それをどうにかできるような精神状態じゃなかった。その間起こったことはどれも、俺は誰かに言われてそうしていた。そして家に帰ったのも、周りの誰かにそうするよう勧められたからだ。俺はどんな助言でも喜んで受けた。自分では何も考えられなかった。俺は(内心では)もう元通りにする方法はないのだと判っていたのだと思う。俺は何をするべきか知っていた、だがそれをする力がなかった。俺はそれを受け容れられなかった、だからただ物事が起こるままに任せた。それは俺が普通ならするやり方じゃない、俺は完全に自分を見失っていた。あんなのは俺じゃない、あんな風に感じるようなことがもう起きないことを願っている。あれは俺じゃなかった。

知りたいことがある。きみはマドリッドで道化のような弁護士に自分の周りにサーカスを開かせた。きみは混乱し、助言が必要だった。「よしフロイド、落ち着いて、きみはこうするんだ」と言ってくれる人間が。それは誰だった?

誰もいなかったよ。

誰も?

誰も。俺はランスじゃない。俺にはアドバイザーなんかいなかった、自分だけだ。そして俺は…

アドバイザーという意味じゃない、友人は?

誰もいなかった。俺は一人だった。アンバーはいてくれたけれど、彼女もどうしていいか分からなかった…彼女も俺と同じように感じていたんだ。

彼女は一度もきみに、真実を明かすように言わなかったのか?

話したとしても、思い出せない。言ったように、何もかもが一度に起きたんだ。ああ、彼女とはそのことを話したに違いない。俺がどうしたらいいかを話し合ったのは間違いない、だが俺は一度ノーと言い —はっきりとではないがノーと言って— そして俺は決めたんだ「よし、今はこれで通すしかない」だが俺はまともに考えられなかった。俺は何が起きているのかを理解できなかった。そもそもツールを勝ったことの重みすら飲み込めていなかった。それは良い意味でだったのに、これは逆だった。これも同じくらい信じられない事だったが対極にあった。そしてそれは本当にわずかの間に起き、俺は圧倒された。だがそれで自分のした事を正当化するつもりはない、俺は明らかに嘘をついた。その頃には俺はもう嘘をつくのに慣れていた。そう直接にではないが、人にいつも(ドーピングについて)聞かれていたから。そしてわずかの間に、俺は何が起きているのかついて行けなくなった。家に帰ったときには、眠っていなかったのとツールの疲れで感覚がおかしくなっていて、それはもう何ヶ月も前のことのようだと感じた…1年くらいは俺はおかしかった。あんたにはああいうショックがどういうものか解らないと思う。誰かが俺にそう感じると言っていたとしても俺は信じなかったと思う。

興味深いことは —何もかも興味深いが— ランス・アームストロングは同じ知らせを聞いても動揺しなかった。彼は同じようには反応しなかった。彼は1999年のツール中に陽性を出したと告げられたが、それは彼には、きみにのようには影響しなかったのだろうか?

そうだろう、明らかに。俺ならレースなんかできない。

きみはどうしてそれに深く影響されたんだ?

俺はフェルブルッヘンに電話して彼にどうにかしろと言えないからさ。俺には電話できる相手は誰もいなかった。俺はアメリカ自転車連盟に電話することもできない。彼は内側にいた。彼はアメリカ自転車連盟の役員だ—あいつらは彼を守る。当てにできる人間がいたんだ。もしかしたら彼は違った種類の人間で単に違った反応をするからかもしれないが、俺はそれは彼がどうにかできると知っていて安心していられたからだと思う。疑いはあったかもしれないが、彼は大体においてそれはどうにかなると自信があったのだろう。俺には誰もいなかったし、どうしようもなかった。

きみの一番の親友はデイヴィッドだった。

ああ。

どうして彼と話さなかった?

わからない。電話して助言を求められる人なんて誰もいないと感じていたんだ。俺は「どうしたらいいのか彼が知っているわけがない。自分でもどうしたらいいのかまるでわからないのに。彼よりは俺のほうが知っている」と思っていた。電話するとしたら単に慰めのために「やあ」と言うためだったろうが、あの時の俺には何も慰めにはならなかった。何をしても、平穏を感じることはできなかった。俺は夜でも昼でも、中にいても外にいても、同じようにしか感じなかった。俺は切り離されていた、何もかもから切り離されていた。

彼はきみに電話してこなかったのか?

彼はしたはずだ。俺は電話に出ていなかった。電源を切っていた。

きみは電話に出なかったのか?

ほとんどの人には。電話は山ほどかかってきたが、ほとんど出なかった。ランスと話したのは、もし(自分がいる状況を)伝えられる相手がいるとしたらそれは彼だろうと思ったからだ。彼はただこう言った「もっと上手く『ない』と言う方法を学べ。ただ『ない』とだけ言ってそれ以上話すな」それが彼からの助言だった。それか『全く違う』と言えと。だがほとんどの場合俺は人と話さなかった。

ランスと話したのはいつだ?

俺が「ないと言うつもりだ」と言った電話会見の直後だ。彼は誰かにそれを聞かせていたのだろう、俺が言ったことを知っていた。彼は俺に電話して「そんなやり方では駄目だ」と言った。

それは彼にとっても重要な瞬間だったからだな?

ああ、その通りだ。

彼は「フロイドはここで全て話すのだろうか?」と思っていたはずだ。

ああ、それは彼の頭をよぎったに違いないな。そして電話した後には、彼は自分は安全だと知っただろうーひとまずは。

[8]につづく)

(Source: nyvelocity.com)

ポール・キメイジによるフロイド・ランディス インタビュー(5)

[4]からつづく)

キメイジ:ウォールストリートジャーナル紙のインタビューの前、USポスタルチームの内部で実際に何が起こっていたについての唯一の手がかりは、ジョナサン・ヴォーターズとフランキー・アンドルーの2人の元USポスタルの選手と、後に大きく広まった2005年の彼らのEメールのやりとりからもたらされていた。

ヴォーターズ「生きてきて聞いた中で一番おかしな話 — 去年のツールでヨハン(ブリュイネール)とランスは、フロイドが悪い走りをするように、フロイドの休息日の輸血用の血液を、彼の目の前でトイレに捨てたって。」
アンドルー「本当かよ、それは初めて聞いた。気が違ってるよ!」

ランディス:ああ、そのやりとりは俺も読んだけど、でも俺は…俺は彼が何のことを言ってたのか考えられない。そのチームバスでの出来事は、俺がUSポスタルチームで最後に自己輸血をしたときのことだ。俺たちは凄い走りをしていて、他の奴らは皆間抜けみたいに見えていたから、ドクターは俺に血液の1ユニットの半分をくれて、残りは捨てたんだ。悪意があったわけじゃない、彼はただ「いいか、このことは上手くコントロールしておく必要がある。少なくすればそれだけ欺きやすいんだ。」と言った。それで俺は「いいじゃないか、全部くれよ」と言ったんだ。彼は「いいや、我々はもう十分に強い」と返した。だから、そんな話じゃなかった。多分俺がその話をアレン・リムかヴォーターズにした時に…多分ヴォーターズには話していない、誰かから噂で聞いたんだろうが、その話をしたときに俺はそれを、次の日にアルプデュエズで起きた不和と混ぜてしまって、それで別の話になってしまったんだろう。俺が、記事になってるのを見てどうしたらいいのか混乱した話の一つだ。訂正したいが訂正したら血液ドーピングをしたのを認めることになるから、何もなかったように無視するしかない。

2004年のツールで際立ったもう一つの出来事は、イタリア人フィリッポ・シメオーニからの声明だ。(アンヌマスからロン・ル・サウニエールへの第18ステージのスタート直後、シメオーニは6人の逃げに乗り、アームストロングに追走された。シメオーニはマイヨジョーヌ争いでの脅威ではなかったが、2002年にドーピング裁判でアームストロングの友人のミケーレ・フェラーリ医師に不利になる証言をしていた。)あの日起きたことにきみはどんな態度をとった?

俺は起きていることにとても不快になった…俺が集団の前方にいたとき、ランスは俺たちの倍の速さで、明らかに自分の後ろに誰も着かせないつもりで抜けていった。俺は彼がどうしてそうしてるのか解った ー彼はバスで俺たちに「絶対にシモーニを逃げに乗せるなよ」と言っていたんだ— だから俺は後ろにいた他の奴らを見て、「誰か彼に着いて行けよ」と言ったんだ。だがその時彼はもう逃げまで半分の距離をつめていた。それで俺は、無線でヨハン(ブリュイネール)に「ランスを待たせてくれ。戻れと言ってくれ。」と言ったんだ。だが返事は「お前らが彼を追え」だけだった。俺は言った「まてよ、俺はそんな間抜けみたいなことをするつもりはないぞ。自分のチームのリーダーを追走してどうするんだ。俺をどれだけ阿呆だと思ってるんだ?後ろに行くぞ」それで俺は集団の後ろに降りていって、チームカーまで行って言った。「ヨハン、これは馬鹿げてる。俺たちは大恥をかいてるぞ。彼はまるで大間抜けだ。これをどう説明するんだ?とにかく彼にやめろと言ってくれ。」それで彼はランスに無線でやめるよう言ったが、ランスはスピードを緩めなかった。彼は俺に前に戻って牽くよう言った。俺は「俺はこれには関わらない。後ろにいる。」と告げた。それで俺はシメオーニが捕まるまで、集団の後ろにいた。俺はそれは馬鹿げてると思ったし、思ったことを言った —別にシメオーニが好きだからでも好きでないからでもない— 俺はただ、レースでそんなことをするのは馬鹿げてると思ったんだ。俺は「こんなことは筋が通らない。俺は関わらない。」と言った。誰も何も言わなかった。ランスに物を言ったのは俺だけだったし、なにかが間違っていると思ったら —これは明らかに間違ってた— 俺はそれを言った。

きみが間違っているというのは、彼がレースリーダーできみがチームの側から見て、という意味か?

違う。あいつをあんな風に扱うのは間違っているという意味だ。俺はそんなことはしない。

シメオーニをあんな風に扱うのは間違っていたと?

もちろんだ。だがその時はヨハンとモラルの問題として議論はできなかった。彼に止めさせるための俺の論点は「これは馬鹿げている。彼はなにも成し遂げない。」というものだった。だが俺は彼のしていること自体に反対だった。俺はあんなことはしない。そうだ、俺もドーピングしながら勝つことを自分の頭の中で正当化していた。だがドーピングしていない他の奴が勝つのを阻むことは、決して正当化できない。そしてそれがランスと俺のはっきりとした違いだ —俺は勝ったり、何か目標を成し遂げることから満足を得る。彼は、他の奴が勝つのを阻むことで満足を得る。

きみはさっき、ある意味できみと彼は似ていると言っていたな。

俺は止めない。何かすると決めたら俺は絶対にやり抜く、彼はそれを知っている。彼に対して物を言うなんて俺は阿呆もいいところだが、それが、彼が俺に自転車で絶対に成功させないと決めたとは思えない理由の一つだ。彼は2005年を俺をシメオーニと同じように扱うのに費やした — 意味なく俺を追走し、馬鹿げたことをやって。俺は何も言ったことはないが、彼が何をしているのかは解っていた。

きみは2006年のインタビューでそのことについて尋ねられたが、触れなかった。きみは実際には何も言わなかったな?

解ってる、俺はそれを避けようとしていたんだ。あの頃はその方が良いと思っていた。それに誰も信じやしない。つまり、俺は知っていた —チェチュ(ルビエラ)は一度、ドーフィネで彼らが俺を意味なく追走してきたあと、俺に謝りに来た。彼は「オレがどうしてああしたか解ってるだろ」と言ったので、俺は「ふん、なんで彼の言う事を聞くのを止めないんだ?」と返した。彼が「オレにはできない」と言ったからそのまま流したが、俺は解っていた。そして、チームを去る時、そういう事が起きるだろうと解っていたから、それは俺の責任だった。「チームを去れば、俺はそういう扱いを受けるだろう」それは俺が自分でした選択だった。

金銭面で、2004年の給料と、2005年フォナックで支払われた給料の差はどのくらいだった?

2004年の俺の給料は23万ドルで、2005年は50万ドルだった。

倍の額だな。

ああ、倍になった。俺は奴らがどうするか解っていたしそれで構わなかった。ただそれで余計に去る決意が固まっただけだ…

奴らとはUSポスタルチームか?

そうだ。(2004年のツールで)最初の10日間、平坦ステージすべてで彼らは俺を前で働かせた。彼らは俺が疲れて、話し合いにやってくるのを待っていた。それが俺が最初にツールに出た年に彼らがしたことだった — 彼らは人が完全に疲れきっているときに交渉をして、「何もかも問題ない、きみをしっかり面倒見るよ」と言うんだ。だが(2004年の)問題は、俺は調子の悪い日が一日たりとなかった。だから彼らは俺が最後のタイムトライアル(最終日の一日前)のウォームアップをしている時に来て、年30万ドルの3年契約を提示し、それは俺が(フォナックから)2年契約で提示されていたものより少なかった。俺は彼らに50万ドル欲しいと、そしてもし払いたくなければそれでいいと言った。彼らは「解っているだろうが、このチームでは他からのオファーで金額を上げはしない、価値相応の額を払うだけだ。」と言った。俺は「俺が育った場所では、価値っていうのは誰かが支払ってもいいという分だ。気にするなよ、俺はチームを出るから。」それから俺は二度と彼らに連絡しなかった。俺はフォナックと交渉し、ある時点でヨハン(ブリュイネール)か、ビル・ステイプルトン(アームストロングのマネージャ)から電話がきて、何をしているのか訊かれた。「おまえは残るのか?残らないのか?」それで俺は「残らない、もう金額は上げないと言っていただろう」と言った。そしてランスから電話がきて、俺がチームを去るのがどんなに不誠実か、彼らが借金があって文無しの俺を助けたりとどれだけしてくれたか、だから彼らは金額の引き上げに応じるべきじゃない、とかそういうことを言ってきた。それで俺は言った「同じ金額なら残るよ。俺の価値に応じた額を払いたくないなら、あんたらは俺を何か価値があるものだと扱うつもりがないのだろう。」そして、アルプデュエズで力を使いすぎたと非難されたことでツールで生じたものや、そうしたことの後で、俺はもう絶対に残らないと決めた。そしてランスからまた電話がきた —彼らは俺が心を決めていたのを知っていただろうから、そうしなくてはいけなかったんだろう— 彼は「よし、本当はおれたちはこんなことはしないんだが、向こうのオファーと同じ額を支払おう。」と言った。俺は「断る。あんたたちはもう俺に、そうするつもりはないと言った。だから俺は残らない。」と言った。それが俺とランスの関係の終わりだった。

きみの野望はツールを勝つこと、きみはランスのことも彼がUCIに持つ力も知っていた、きみはフェラーリ医師とドーピングプログラムを行っていた。こう思いはしなかったのか?「このプログラムをやめたらどうするんだ?この結びつきを断って、彼らの反感をかって、どうやって成功できるんだ?」そうしたことを考えなかったか?

もちろん考えた。そのことを案じていた…どうやって自分でやるかではなく、彼らが俺がやるのを邪魔するのではないかと。その頃までには俺は、自分に本当に必要なのは自己輸血と、時々のステロイド剤だけだと判っていた。俺は自分の力で十分よく回復できると知っていたし、気の狂ったようなものを使わなくてもよくトレーニングできた。2004年までそれしかやっていなかったし、2004年の俺はとてもいい状態だった。それまでで一番良いくらいだった。そこからもう少し伸ばせれば、勝利に手が届くと知っていた。だからフェラーリのアドバイスは実際にはもう必要なかった。俺は彼の他の情報も全部知っていたから、そもそも彼のトレーニングプログラムを使っていなかったし。俺の主な気掛かりは、「UCIは俺に対して何か手を回したり、何か不利なことをしたりするよう言われるのだろうか?」ということだった。2005年にはそれは起きなかったから、俺はもうそれをあまり心配しなくなった。その頃には俺は、股関節の問題で、自分のキャリアはどの道もう長くはないと思っていたんだ。

股関節の問題(大腿骨頭骨壊死)に気付いたのはいつ頃だ?

それは2004年に起きたもう一つの出来事だ。俺がチームに残らないことを告げた2週間くらい後、タイラー(ハミルトン)が陽性を出して、そもそもフォナックが(ハミルトンの陽性の余波で)来期存在するかさえ怪しくなった。彼らは俺が去るのは自由だと伝えて来て、そしてポスタルから、同じ額で戻るようオファーがきた —あのやりとりの後ですら、奴らは俺を欲しがっていたんだ。その時期 —いや、むしろ確か同じ日にだった— 俺は検査を受けに行って、俺の股関節はもうあと1、2年しか保たないだろうと言われた。突然、俺は決断をしなくてはならなくなった。「俺に金を出すチームはどこだ?この問題を誰に話せばいいのだろう?」俺は自分の故障のことは知らないままアンディ・リース(フォナックのパトロン)との合意文書にサインをしていたから、彼に言う義務があったわけじゃない。もしくは俺はUCIの庇護があるだろうと解っているところ(ポスタル)に戻り、金を受け取ることもできる。彼らは俺の腰のことは尋ねないだろう。俺は股関節の手術を受けて、その5日後にスイスに飛びアンディ・リースと長い事話し合った。俺は彼を気に入った。聞いた限りでは彼は信用出来る男だったし、彼のチームにいれば支払いは滞りない。もしポスタルに戻るなら俺は自分のプライドを脇におかなくてはならなくなるが、そうしたくはなかったので、俺はサインすることにした。その後は、俺は自分のことが不安で、手術のあとで自分の力を取り戻すことに集中しなくてはならなかった。その年の残りはそうして過ぎた。俺は春には特に重要な選手ではなかったし、奴ら(ポスタル)は俺をある意味無視していた。そしてツールでは、まあそれなりの(悪い)行いはあったが、それほどじゃなかった。恐らく奴らはあの年はそれ(ドーピング)を少し抑えていたのだと思う。チームが全員を圧倒してはいなかった。だから9人の男が他の連中をのしてレースを勝つっていう贅沢はもうなかった。そしてあいつ(アームストロング)は去った。彼は引退して、それで彼はもういないんだから裏を手を回す危険もそうないだろうと俺は思った。俺は、彼はただ去って、振り向かないだろうと思ったんだ —そうするつもりなのだと俺は思っていた— だからその後、俺はそれをあまり心配していなかった。それから俺はヨハンともっとよく話すようになり良い関係を持つようになった。状況は2006年ももっと良くなっていったが、だけど2004年以来、俺とランスは2度と友人には戻らなかった。

2005年のツールはアームストロングの7度目、最後の勝利だった。彼はシャンゼリゼでスピーチをした。

「わたしが今立っているのは夢の舞台だ。ヤン(ウルリッヒ)は特別な人間で、特別なライバルだ。イヴァン(バッソ)、君は本当に手強い相手だ。君はこう言うには近しすぎる友人だが、この先何年もこのレースは君の物かもしれない。」

彼はきみのことには触れなかったな?

それは俺には何でもなかった。俺たちはあの時友人ではなかったが、彼も俺がどれだけ打ち込めるか知っていた。俺が彼と同じくらい優れた選手だと。

同じスピーチで彼はこうも言っている。

「自転車レースを信じない人々に言いたい。皮肉屋、猜疑心に満ちた人々、わたしはあなたがたを残念に思う。あなたがたが大きな夢をみることができないこと、奇跡を信じることができないことが残念だ。このレースはとてつもないレースだ。これは偉大なスポーツイベントであり、あなたがたはこのアスリートたち、この人々を信じるべきなのだ。わたしは生涯ツール・ド・フランスを愛し続けるだろう。そこには何の秘密もない。これは最も過酷なスポーツイベントであり、ただ渾身の努力が勝つ。ゆえに、ツールよ永遠なれ。」

そこには何の秘密もない、そうだが?

彼が何の秘密もないと言ったのは…ファンが彼らの前に提示され見ているパラレルワールドがあるんだ。彼らは自分たちが信じているその世界に感謝している。だがペロトンは本当の話を知っている。だからペロトンと、チームと、UCIと、自転車レースに金銭的な利害関係のある人々、その内側では何の秘密もない。彼がそういう風に自分の言うことを正当化していた。それはある程度まで、俺にも同じことだった。

彼の言葉を聞いて何を感じた?

特になにか感じたのは覚えていない。その頃には俺は事実を知っていたし、彼の声明は、あのスピーチも含めて、すべて外の世界からこっちを覗いている人々に向けられたものだと解っていた。俺にもペロトンの他の連中にとっても、あれはただ、必要とされたたわごとに過ぎなかった。

([6]につづく)

(Source: nyvelocity.com)

ポール・キメイジによるフロイド・ランディス インタビュー(4)

[3]からつづく)

キメイジ:それはテストステロンのパッチだったな?

ランディス:そうだ。

それ以前にドーピングを見たことはあったのか?

知っていたかったので自分で調べていた、写真では見ていたと思う。

チームで見てはいなかった?

見ていなかった。

これはウォールストリートジャーナル紙の同じ記事からの引用だ。

「ランディス氏によれば、彼はそのキャンプ(2001年12月、米オースティン)の間に、アームストロング氏のチームの監督、ヨハン・ブリュイネール と個人的な会話をもった。ランディス氏は、彼はブリュイネール氏に、ツール・ド・フランスにアームストロング氏と共に出場する8人の1人になることを希望しており、そのために普通のトレーニング以上のことが必要ならば何でもする用意があると伝えたという。直接的にドーピングには触れなかったが、ランディス氏曰くその真意 ―ランディス氏に禁止薬物を摂取する用意のあること― はブリュイネール氏には明白であったはずであるということだ。」

これは正確かい?

ああ。俺は真実を探り出そうとしていて、そういうことを言った。長く自転車競技に関わってきて噂は十分なほど聞いていた。そして、彼が俺に対しオープンになるとしたら、俺が何でもできると見せた時だけだろうと思ったんだ。俺は実際にランスとツールに出る機会があったとしたらどうするか、まだ心を決めてはいなかった。だが、それが難しい選択になるだろうことはわかっていた。だから、何が起きるか予想できるよう、馴れた場所で ―故郷、アメリカで― その問題に近づきたかった。俺の知っていたのは噂だけだった―ただの噂ではないだろうことは半ば確信があったが― だが俺ははっきり知りたかったんだ。そうすれば考える時間があるから。

私はこの内容を、その7ヶ月後のきみとランスの会話とフェルブルッヘンへの謝罪とに釣り合わせようとしていたんだが。

あれがドーピングする決断の軸になった点だったが、その時も俺はもう何も知らないというわけではなく、全ての次元で実際のところを探り出そうとしていた時期だった。たとえば、俺は彼ら(チーム)がどうやってテストで陽性を出すのを防いでいるのか知らなかった。俺はフェラーリ医師のような人間と働いたことがなかったんだ。もしくは、彼らがツールでしかドーピングをしていないくて、ツールに行ってからその決断を迫られたらどうするか、とか。ポスタルと契約してから、そうした幾つものことが俺の頭をよぎっていて、もうただ尋ねてしまえばいいのではないかと感じたんだ。

わかった、ではきみが最初にドーピングをしたのはサンモリッツでのテストステロンのパッチだな。だが、罪悪感はなかったのだね?

どうして罪悪感を感じなかったか、背後を説明したい。俺はその時、自分が進歩したと感じていたんだ。俺はツール・ド・フランスに行くんだ。何もかもが期待に満ちていた。振り向くことはなかった。自分の夢に一番近いところまで来たんだ。だから俺は立ち止まって考えたりしなかった。俺はもう心のなかでそれを正当化していて、受け容れていた。

自分に注射針を射すことに拒否感はなかったか?

楽しめたことは一度もないが、拒絶感というのはなかったし嫌な気分が続いたわけでもなかった。最初は注射ではなくテストステロンのパッチだったから入り口としては容易だった。分析するようなことでもないが、ただのローションだと気楽になる ―実際、悪いもののようにすら見えないんだ。

きみはアンバーには起こっていたことをずっと全てを話していたと言ったね。他に誰かに話したか?

デイヴィッドにもよく話していた。

彼は何と言った?理解してくれたか?

ああ、彼は解ってくれた。彼は俺がそれでどんなに混乱しているか、どんなに辛いかも解ってくれた。俺は家に帰り、聞いたことや知ったことを彼に話した。俺たちは、それが正当化されうるのか、できないか、よく長いこと話し合った。俺たちは結局、それが現実だと受け容れるようになったと思う。彼は助言はせず、ただ問題を提起して俺にもっと考えさせようとしてくれた。

何を考えさせようとしたんだ?

俺が冒すリスクや、俺が本当にそれをしたいのかどうか、そして、それで俺が本当に自転車に望んでいたことが二度と叶わなくなるのではないか、そういったいことだ。俺が一番悩んだのはそこだ。一度人々がしていることを受け容れてしまい、俺が別に誰に対しても不正はしていないのだと自分の中でそれを正当化してしまったら、そうやってツール・ド・フランスに出て、俺は本当に、自分の目標を達成できたと感じられるのだろうか?それだけは結局、実際にやってみるまで分からなかった。俺が最後まで考えても自分で迷い続けたのはそこだよ ― それが本当に、できるのかどうか。

きみは「リスク」という言葉を使ったが、それは事が露見するリスクか?それとも健康面のリスクか?

健康被害についても不安だった。ありうるどんな危険も心配だった。はっきりと…いや、それほどはっきりしていたわけじゃないが、だが一番の不安は、事が露見し俺が他の人々に対して自分を正当化しなくてはならなくなることだった。それが最大の恐怖だった。ばれた奴が人々にどんな風に扱われるか知っていたし、自分がそんな目に遭いたくはなかった。だけどそれでも俺は決めたんだ…つまり…一つだけはっきりと言えることがある。晒し者になり、報道に引き裂かれるのは誰にとっても辛い。だが俺が想像もできなかった、つまりそれについて考える事もできなかったのは、それが実際に起きた筋書きだ。誰もが決して忘れないような走りをしたステージのその日が、それをしたと糾弾される日になると、俺に予期できたと思うか?全世界がそれを見て、俺は実際にツール・ド・フランスを勝ち、そしてまさにその時、それが露見した。自分が冒してもいいリスクがどれだけか考えるのはいくらでもできるが、だが実際に起きたことは俺には想像もつかなかった。できなかった。

きみは、実際には誰に対しても不正をしていたわけではないから正当化できたと言った。だがきみはある人々に対しては不正をしていたんだ。2006年のツールにはドーピングしていなかった選手もいた。きみはそうした人々にどう対峙する?その事実にどう対処するんだ?

事実はこういうことだ。誰かは必ず彼らに不正をする、俺は不正をされる側にはなりたくない。善い筋書きはどこにもない。物事がそのうち正されることもない。俺はUCIに訴えに行く気もない―彼らは買収され、金を払われているんだ。

クリストフ・バッソン(アームストロングが最初にツールを勝った1999年にドーピングに抗議し、孤立させられたフランス人元選手)について何を知っている?

俺にとっては、俺が3つ目の選択だと思っていたことをしたらしい奴だ。俺はその選択について考え、ことランスが既にスーパースターだったアメリカで、誰も俺のことを知らない中で、自分がそれをする価値はないと結論した。つまり、俺が立ちあがり「これがランスが俺に言ったことだ、俺は知っている ― 自転車レースはドーピングをしないとできないし、俺はしたくない」と言ったとして、誰が耳を貸すだろう。

私はきみが、バッソンが1998年にフェスティナにいた頃について何を知っているかに興味がある。

俺は彼が何をして何をしなかったか、知らないよ。

バッソンは素晴らしく才能ある選手だった。彼のフェスティナのチームメイト達はEPOまみれになっていてドーピングがはびこっていた。彼は毎晩そうした連中と夕食の席につき、連中は彼がドーピングを拒むことを愚弄し茶化した。

いい奴だ。そういう奴は好きだ。

そうしたことをする人間としての強さについてはどうだ?

俺はそうしなかったし、出来なかったから感服する。

きみには出来なかったと?

俺は出来なかったと言うべきじゃないんだろう…しなかっただけだ。彼は良い。感心する。どれだけの奴がそういうことをしたのか知らないが、多くはなかっただろう…自分のしたことを正当化してるように聞こえるから、何を言うのも躊躇われるが…素晴らしいと思う。彼のことは知らない。彼のことを知りたいとは思うが。

きみとランスの関係を見てみよう。きみは最早ただ彼の内側の輪のメンバーになっただけではなく、彼の片腕に近かった。ダニエル・コイルは彼の著書「Lance Armstrong’s War」でそれを、友情とまでしていた。それは真実か?

ランスに友達がいるとしたら、俺は友達だった。だが彼の友情というのは、ある距離までに限られていて ― それ以上は近づけない、俺は知らないしおそらく理解もできないが、何かの理由で、彼はある距離以上に人を近寄らせない。だから、彼が友達を持てる範囲では、俺は友達だった。彼は俺を信頼していた。

きみは、近づきたいと思っていたか?

いいや、俺は別にそれで構わなかった。

特に好意を持っていたわけでもないから?

まあ、彼と過ごしたいからと自分のやり方を変えたとは思わない。彼は付き合いやすい奴じゃなかったし、彼は…彼は俺の友達とは違ったが、俺には特に問題ではなかったから気にしてなかった。彼が近づきたいなら、俺がチームでそんなに重要なら、俺はそれでよかった。俺はチームにいて、自分の仕事をして自分にあると信じていた実力を見せられれば、それで幸せだった。

それでよかったのか?それ以上は望んでいなかったのか?

気にしていなかった。人といて自分が重要だと感じるのは楽しかったが、俺は自分でいたかっただけだし、自分でいるのには彼は必要なかった。俺はどうでもよかった―実際のところ、俺はそれを軽蔑してさえいた。彼の近くにいると自分ではいられなかったから。俺は彼の隣にいる男の役を演じなくてはならなかったんだ。俺と彼の二人だけでなら、俺は許される範囲でなら何を話してもよかったし、彼とは普通に会話ができたし落ち着いていられた。だが他の人間が周りにいるときは、彼は自分を守ろうとし別人のようにすらなった。周りの人間が増えるほど、彼は頭の中ですら自分で事態をコントロールできないほどパラノイドになっていった。だがまあ、俺が彼と友達になったと言ったときは、それは単に仕事上のもので、彼が一緒にトレーニングする相手が必要なときだけのことで、それ以上ではなかった。

きみが、近しくなれるのはここまでだと気付いた時はあったか?

いいや、彼はそうしようと思えば魅力的な奴にもなれるし、長いことかかった。そこに数人しかいなくて、彼が誰かをその一人にしたいと思えば、彼は本当に気さくで誠実なように接するから。彼がそうではないと言いたいわけじゃない。彼がはっきり線を引いているわけではないから、見分けるのは難しい。彼が人とどう接する人間なのか理解するまで、長い時間がかかった。

その本でダン・コイルが描いたきみはかなりおどけた面がある。ある日ジローナでデイヴ・ザブリスキー(友人で元チームメイト)と座っていて、カプチーノを13杯飲んだという話があったが。そいつのことを話してくれないか、どうも私にはそいつが今私の前に座ってる男とは思えないんだ。

俺は誰の迷惑にもならないなら下らないことをやるのも好きだよ。いつも好きだというわけじゃないが、退屈していてあまり考え事をする気分でもないような時、ザブリスキーといる時、単に自分を楽しませたい時でも…(笑う)まあ、カプチーノを13杯飲んでみてもいいだろう?本当に頭がおかしいような気になることもあるのは問題だが、俺がただ可笑しいからってやることにはきちんと限りがある。俺は自分や誰かを傷つけるようなことはするつもりはない…まあカプチーノ13杯は身体に悪いと言う奴はいるだろうが。

どうしてそうなった?

すごく天気が悪くて、他の奴らはトレーニングに出たがっていたが俺は行きたくなくて、「ザブリスキー、トレーニングはやめにしてコーヒー屋に行こうぜ」と言ったんだ。それで俺らはコーヒー屋に行って、俺はカプチーノを頼んだ。そうしたら店の女の子がまた来て、もう一杯いかがですと言った。ジローナではいつも言葉のことで色々変なことが起こるんだが…彼女は俺が3杯目を頼んだのをどうやら面白いと思ったらしく、楽しくなってもっと頼んだんだ。彼女は何杯もカプチーノを持って来続け、彼女が持って来るから俺は飲み続け、ますます楽しくなってった。特にザブリスキーにね。それで結局13杯だか飲んだんだ…

ザブリスキーも飲んでいたか?

いいや、あいつは4、5杯目でやめてた。その後俺は疲れて帰って昼寝した。

それだけカフェインを摂ってか?

ああ、なぜだか知らないが俺はカフェインで眠れなくならないんだ。ザブリスキーがそれをトレーニングで誰かに話してランスの耳に入ったんだろう。その頃は…まだ年の初めで彼とはあまり一緒にトレーニングをしていなかった。彼は「あの男は自分が何をしているのか良く考えないし、間抜けたことをするのが好きで、言われないと何もできない奴だ」という評価をした。それで彼は俺をトレーニングに連れ出して、振る舞いやトレーニング方法についてあれこれと指図をし、俺は反論する気もなかった。あのランス・アームストロングがトレーニング方を教えてくれてるんだから「もうしっかりやっている。ここまで来るまでに真剣に取り組んできたんだ」なんて言わないさ。何も知らないかのように大人しく聞いていたし、彼のアドバイスを喜んで受け入れた。だが実際にその会話からわかったことは「俺はここに溶け込まなくてはいけないんだ。どんなことでも、あまり目立つことはしない方がいい。頭がおかしいように見られない方がいい。」ということだった。俺が去った時彼をいらだたせたのはそれだったのだと思う。彼は、俺がなにかを持っているとしたら、それは彼のアドバイスから得たものだと思っていたんだ。彼は俺がそこにたどり着くまでどんな努力をしたか、何をくぐり抜けてきたか、まるで解っていなかった。

彼はきみがどこから来たのか聞かなかったのか?

いいや、彼は気にしていなかったし俺はそれでよかった。だから俺がチームを離れたとき、彼はそれを個人的に捉えた ―まああいつはどの道そういう風に考えるんだが― 彼の頭の中では「こいつが何かを持っているとしたら俺たちが助けてやったからだ。義理を感じるべきだ。」という考えで正当化されていたのだろう。俺たちはある意味で少し似ている。俺は年6万ドルでは最高の仕事をしたと思っていたから怒りを感じた。80万ドル貰っている奴らより良くやったんだ!どうして奴らはそれで俺を悪く思ったり、俺はむこうに恩があると言ったりするんだ?つまり ―これは別に自転車の世界に限った話じゃないが― こちらが何かを求めればビジネスにされ、向こうが何かを求めてくる時は友情の話にされてしまう。俺も少しは合わせようとしたが、彼は束縛が激しくて頑固で、合わせ続ける意味がないと判断した。彼の友達でいられなくても構わなかった。その時までには俺は、彼の友達なんてものにはなれないと気付いていたんだ。だから「どうでもいい、もうあいつとは話さない」と言った。「彼を敵に回さない方がいいだろう」と考えて、もう少し上手く政治的にやることはできたと思う。俺がいまこうしているのがそのせいだかは分からないが…

きみはUSポスタルチームでアームストロングと3シーズン共にレースした ― 02年、03年、04年だね?

そうだ。

きみの両親は2004年のツールにやってきた。

ああ、それと妹3人も。彼らは山岳ステージの期間中ピレネーの山の中に滞在して、それから帰った。パリへは行かなかった、大きな街は好きじゃないんだ。田舎ならなんとかなるが、街には行きたがらないんだ。

彼らは飛行機に乗ったのは初めてだったのか?

いいや、その前に一度カリフォルニアまで呼んだことがある…2003年だったか。

彼らはツールをどう思った?

俺に会うのを喜んでいたしレースを見るのも楽しんでいたが、フランスまで来るのもツールに来るのも一苦労だから、そこでめちゃくちゃだった。そのせいで他を見てまわったりしなかったのだと思う ー 俺に会っただけで満足していた。良かったのは、彼らも俺がどうしてツールに惹かれるのか、ツールの持つ求心力や興奮を理解できたことだ。それが俺が彼らに来て欲しかった理由でもある — TVではわからないことだから。だが彼らはきっと家に帰って安心したと思う。慣れていたって疲れることだから。俺は実際驚いたんだ—彼らが来られると思っていなかった。宗教的な理由でではなくて、彼らには恐ろしくて出来ないだろうと思っていた。50年生きてきてどこへも行った事がなかったんだから。

きみにとってはどんな意味があった。

俺にはたくさんの思いがあった。いつも、俺が何に関わっているのか、それがどんな意味のあることなのかを彼らが見られればいいと思っていた。彼らをそこへ呼べて、道の脇に彼らがいるのを見られて嬉しかった。特にその後のことが起きたのを考えれば彼らに見てもらえてよかった。でなければ彼らは何が起きているのか、どうして人々がそんなにこだわるのか、まったくわからなかっただろう。その時はそんなことは考えてもいなかったけれど、今思えば、彼らがツールを見て良かった。あれがどんなに混沌としていて、見ていなければどうしてそうなるのか解らないような決断をするようになるのか、彼らは見ることができた。

2004年のツール中にチーム内で衝突があった。アルプデュエズでのタイムトライアル(ランディスはステージ21位だった)の後、きみはブリュイネールから忠実でない行動をとったと非難されたね?

そのことでとても嫌な思いをした。ただ一つ俺が確かに言えることは…俺以上に忠実なチームメイトなんかどこにもいない。もし俺が誰かのチームメイトで、何かをすると約束したら、俺は必ずやり遂げる。彼らは俺に次の日のために(タイムトライアルで)力を使うなと指示したんだ。そして彼は俺が力を使いすぎたと非難した。俺はとても気持ちを害された。俺は、言われたことをしていないと追求されるような理由を彼らに与えたことは一度たりとない。その時俺は、彼らが何を言おうとこのチームには絶対に残らないと決めた。何を言われたとしてもチームに残ることはないというほど、強い怒りを感じた。

ウォールストリートジャーナル紙のインタビューできみはチームがツール中に輸血をした方法を述べている ― 1回目は最初の休息日にサン・レオナール・ド・ノブラのホテルで、次はレースがアルプスに向かった時。

「2004年ツール中にチームの数名が輸血したのはサン・レオナール・ド・ノブラ近くのホテルの部屋での時だけではなかった、とランディス氏は述べた。二度目は、さらに奇妙な場所であったと氏は言う。あるステージの後、チームバスはアルプス山中の人里離れた路上に停止した。運転手はバスの後部を開け、故障であるかのように見せかけて、修理中を装った。バスの内部には両側に長いベンチがあり、数名の選手がその上に横たわった。医師たちが来て、バスの中に血液バッグをテープで貼ったという。アームストロング氏はバスの床に横たわり輸血をしたとランディス氏は言う。要した時間は1時間ほどであったという。」

これは正確かい?

ああ。

[5]につづく)

(Source: nyvelocity.com)

「The boys who cried wolf」ライオネル・バーニーのブログより

(Source: lionelbirnie.com)

カンチェラーラの『一人の人間について4000ページって時点でもうどうかしてる』というコメントは滑稽だ。カンチェラーラを非難するつもりはないが、彼の言葉を読めば人は『彼は素晴らしい選手だし、どういう事なのか知ってるに違いない』と思いがちだ。だが実際には彼も、我々以上の何も知らない。
彼は複雑な事態に対して感情的な反応をしている。彼が規定の条文を知っていれば、コンタドールの体内にクレンブテロールが存在したことは、非常に単純に結論の出る事件であったことがわかっていただろう。

では、果たしてコンタドールはチートなのだろうか?彼は無論、無実を主張しつづけるだろう。彼のキャリアが別の道をたどっていたなら、精査に値したかもしれない。

コンタドールのメンターはマノロ・サイス、輸血バッグまみれのリバティ・セグロスの監督だ。オペラシオン・プエルトの捜査は彼とフエンテス医師の関係が中心となった。
その後コンタドールはブリュイネールのディスカバリーチャンネルとアスタナに所属した。ブリュイネールは反ドーピング的な考えを示したことがない人物だ。反証は自由に挙げてくれてかまわない。ブリュイネールは現役時代サイスが監督だったONCEに所属していた。
関連が即有罪ということではないが、点が線になっていくのが見えるだろう。

そしてコンタドールは、96年のツールに勝つ際EPOを使用したことを告白しているリースのチームに加わった。コンタドールはクリーンなスポーツへの賛同を雇用主選びでは示していない。我々はまた点を結び始める。
リースはアリオステアとGewissに所属していた。彼はEPOが横行した時代に、目立たないドメスティークからツールを勝つ選手になった。Gewissのチームドクターは、EPOはオレンジジュースほどの危険でしかないと言ったフェラーリ医師だった。(正確にはフェラーリはレキップ紙に対し、EPOは適切に使用されれば危険ではない、乱用されれば危険だが、オレンジジュースを大量に飲むことも同じように危険だ、と言った。)

リースはドーピングを認めマイヨジョーヌの返上を申し出たが記録では彼の勝利は残っている。だがテレコムでの彼のチームメイトだったウルリッヒは先日CASの判決でいくつものリザルトを失った。ウルリッヒのドクターは、リースのCSCに所属していたバッソが関わったフエンテス医師だった。

こうして見ると、我々はずっと同じ輪の中を回っているようだ。

そして、コンタドールが無実を主張する時、隣には謎めいたリースがいる。数年前リースがバッソを擁護し、彼が如何にショックを受けたかを語ったときのことを思い出さずにはいられない。
何年にも渡り、我々はキャッチーなフレーズばかりを聞いてきた。それらは、よく分析しない限りには素晴らしい響きに聞こえる。自転車競技には何の問題もない。一つの「悪い」チームがあっただけ。数人の悪い医師がいただけ。自転車競技はクリーンになるため他のどんなスポーツよりも努力している。誰よりもドーピングテストを受けたアスリート。地上で最もクリーンな競技。
人々はこうしたことを言い、自転車競技を何とか良く見せようとしてきた。それが彼らの利益にもなるからだ。

もしコンタドールが彼の全キャリアを通じてクリーンにトレーニングし、レースをしてきたなら、彼は不正義の犠牲者だ。しかしこうも言えるだろう。もし彼が2010年7月以前に、クリーンなスポーツのために、その後彼が無実を主張するのに注いた力の10分の1でも費やしていたならば、彼を信じるのはもっと容易いことであったに違いないと。

それは本当にただの間違いであったのかもしれない。

だが人々が、故意にCERAやEPOを注射したり、自己輸血のために採血したりすることを「間違い」と呼ぶ限り、説得力のない弁護だと言う他ない。

9 notes

ポール・キメイジによるフロイド・ランディス インタビュー(3)

[2]からつづく)

キメイジ:きみは2001年の2月に結婚した。きみが、競技での薬物使用は改善されていなくて、自分は決断をしなくてはならなくなると気付いたのはいつだ?

ランディス:2001年はマーキュリーにとって躍進の年になるはずだった。ジョン・ウォーディンはツール・ド・フランスに出ると決意していて、ワイルドカードを得るためにヨーロッパの選手を何人も雇っていた。俺は色々な人々と会うことになった。ゴードン・フレイザーは俺の親しい友達で、いい選手だった。彼はモトローラにいたことがあって、注射針は嫌いだし関わりたくないから(USに)戻ってレースしていると言った。時には他の奴らと具体的なことを話すこともあった。ピーター・ファンペテヘムがチームに加わって、俺は彼と、どうやって自分の頭の中で正当化するのかについて話し合った。あの時は俺はまだ絶対にしたくないと思っていたんだ。俺はそういうものが嫌いだったし、自分にとって自転車はそんなものじゃないと感じていた。まだ理想論でものを見ていたんだ。

「拒絶していた」というのは強すぎる言い方だろうか?

拒絶していたというほどではないと思う…俺は本当に、それはそういうものなんだ、と受け入れている人が本当に多いことに混乱していた。俺は、どういうシステムでも ―この場合は自転車だけど、そういう大きなものでは― トップにいる人間が好きに操作できるのだと、知らなかった。俺は、そんなことができるとは思っていなかった。そんなこと納得できなかった。俺は「捕まるリスクを冒す奴があんなにいるなんて信じられない」と思っていた。だけどやがて見えてきたのは、単に危険を冒すことを厭わない奴だけじゃなく、実力のある奴なら誰でも、その危険の中にいるということだった。俺はあんな事になるとは予想していなかった。俺は、公に全体を非難し、自分たちがそれを改善しようとしているのだと言っている連中が、実際にはそれを起こしていたのだとは、思わなかったんだ。

きみは、どうやってその結論に辿りついた?

言ったように、2001年はマーキュリーにとって躍進の年になるはずだった。副スポンサーのViatelを得た。だが実際にはまるでダメだった。3ヶ月分の給料を支払われて、それが俺が最初にUCIと関わったときだ。そして端的に言うと「ルールなど関係ない。これが我々のやり方だ。」と言われたわけだ。

どういう意味だ?少し説明してくれ。

俺は1年間、月5000ドルを支払われるはずだった。3ヶ月分のあと、支払いはストップした。UCIにチームが登録するとき、チームがどうなっても雇用されている人間に給料が支払われるよう、銀行保証を用意しなければいけない。30日支払いが滞ったら、その保証から給料を支払うよう要求できる。それで俺はUCIに要求の書類を送った。彼らの返事には「彼(マーキュリーのチームマネージャ、ジョン・ウォーディン)は資金を準備しているところだ、支払い要求を今すぐするのはやめてくれ。あと2カ月したら払うからそれまで待て。」とあった。だから俺は2カ月待ち、金がなくなった。金が必要だったので、俺は要求を送った。彼らは「物事が上手く行くかどうかはっきりしない。あとひと月待ってくれ。」と言ってきた。それがもう7月か8月で、俺は業を煮やした。俺は弁護士に「支払いが必要で、それが出来ないなら法的手段に訴えなくてはならなくなる」というメールを送ってもらった。そしてヘイン・フェルブルッヘン(UCI代表)から直接の手紙が届いた。そこには「ここはアメリカじゃない、スイスだ」と書いてあった。それから「我々を訴訟で脅せばそれなりの対応を受けるぞ、あらゆる関係者にお前がそれに相応しい扱いを受けるよう告げることになる」。要するに「黙れ、おまえは金を受け取れない」ということだ。支払いを受けるまで2年かかった。それまでにコンタクトを取るたび、奴らはただ黙れ、ひっこめと言い続け「訴えてみろ」「我々は関知しない」と言い放った。そういうことが起きていて、USポスタルに雇われたときにもまだ支払いを受けようとしていた。

きみが1999年にマーキュリーに加わったときには、きみは金のことは構っていなかったのに ― ほとんど無給のようなものだったのに、2001年には契約についてもめていたわけだ。何が変わった?きみがその年結婚したというのは知っているし、私にアンバーが「野心的」できみを「けしかけた」のだとにおわせた人間もいるが、それは適当か?そういうことだったのか?

いいや、アンバーは決して俺に要求したりしなかった。金については俺は白黒はっきりしたいんだ。俺のルールは、[1]俺が誰かに金を払うと言ったら、その人間の働きが良かろうが悪かろうが必ず払う。例えば、俺はマイケル・ルサーフォード(彼のエージェント)に2006年の契約上の給料の10%を払った。俺が実際には7月分までしか払われず解雇されてもだ。 [2]誰かが俺を雇い何かをさせたら―たとえ自分がもっと受け取る資格があると思っても―彼らが約束通り金を支払っている間は俺は全力を尽くす。 [3]支払うと約束したのに支払われなかった場合、なにかきちんと理由があるなら、俺は許すし、水に流して蒸し返さない。 [4]俺が何かをした見返りに支払うと約束していて、出来るのに支払わないなら、俺は怒り支払わせようとする。俺にどんな代償があろうとだ。これは俺の両親が教えてくれたことからきている ― 約束したことは絶対にしろ、と。

では、きみが2002年にポスタルチームに加わった時、マーキュリー・UCIとの諍いは続いていたのだね

ああ、ランスと同じチームになったとき、俺はまだそれ(金)を受け取ろうとしていた。Cyclingnewsのティム・マロニーにその頃コメントしたことがある ― ポスタルと契約してから2、3カ月後のことだ ― UCIが自分たちのルールを何一つ守ろうとしないことに腹が立つ、と。それでフェルブルッヘンがランスに電話して、ランスは俺のところに来て、俺はコメントを取り下げ、Cyclingnewsで謝罪をしなくてはいけないと言った。そしてそれはつまり…俺はランスとドーピングのことを話しはじめていて、彼は俺たちがやっていることとか、フェラーリがどう働いているかとか、俺たちのトレーニングについてアドバイスをくれたりしていた。そういう時に起きたんだ。あるやりとりはこんな風だった。「わかるだろうフロイド、おまえはあいつの言うとおりにしなくちゃいけない。あいつの親切が必要になる時がそのうち来るからさ。前にもそういうことがあった。オレは2001年のツール・ド・スイスで陽性を出して、あいつらの所へ行かなきゃならなかった。」彼は言った「本当かどうかなんて関係ない。」彼はこうも言った「オレは疑ったりしていない、おまえの言ってることは本当で、あいつらがルールを守っていないんだというのは判っているさ。だがそれは関係ない。おまえが選択できることじゃない。おまえは謝罪しなくてはいけない。」だから俺は「わかった、俺はどういう仕組みになっているのかわかってなかったんだ。でもわかった。テストの結果をどうこうしてもらえるって話は初耳だけど、それで十分だ。そういう親切が必要なら、あいつを攻撃する気はない。」彼は「おまえがするのはこうだ。まずオレがジム・オショヴィッツ(米国自転車連盟の会長)に電話して、彼がフェルブルッヘンとの電話を繋ぐから、おまえは彼に謝罪し、申し訳ないと言うんだ。」と言った。2002年の話だ。俺のEメールの内容をあいつらがどうこう言ったのがそこだ。このやりとりをしたのが2002年だったんだ。

どうしてオショヴィッツが電話を受けたんだ?彼の役割は?

あいつは仲立ち役だ、ランスは俺にそういう風に説明した。彼は「ジム・オショヴィッツはこういうことをまとめる男だ。」と言っていた。

それで、きみはフェルブルッヘンに公けに謝罪したのか?それとも個人的に?

両方だ。

公けには誰を通して?

ティム・マロニーだ。俺はフェルブルッヘンにそう指示されたと言った。彼は「ああ、何があったかわかるよ。一面に載せるから。」と言った。実際には一面には載せてなかったが。掲載されてはいたけれど…

だが謝罪の記録はあるわけだな

ああ、そうだ。

個人的な謝罪はどうだ?

(しばらく黙る)俺は2つの事件を混ぜていたかもしれないが(Cyclingnewsに取り下げが載ったのは2003年)、フェルブルッヘンと俺の電話は2002年のツール・ド・フランス以前だったことはよく覚えている。いたのはサンモリッツで、そこにいる間は高くつくからUSの携帯電話は使わなかった。確か、なぜだかトレーニングの途中で止まって、俺はランスの携帯を使って、フェルブルッヘンと会っていたオショヴィッツからの電話を受けた。ランス・アームストロングが俺の隣に立ってそれを聞いていたとは思わない、多分彼はトレーニングを続けていたと思う。電話はほんの数分しかかからなかった…そしてまた俺は、強制されてそうしたわけではない。状況を完全に理解したからそうしたんだ。俺は、UCIがどういう風に動くかわかったから、「実際どう思っていようが申し訳ない、と言うんだ」と思った。一番高いレベルでは物事は操作されているという事実は俺に2つの選択を残した ― 何も言わずに辞めるか、そういうものだということを受け容れて、その中で自分が道を切り開く術を探すかだ。

UCIと、彼らのランスとの関係についてきみが体験したあと、その後のきみの判断はどれくらいその体験に影響された?きみがドーピングしようと決めたことに、その事実はどれくらい重かった?

それが全てだった。このスポーツをとりしきってる連中が、本当にそれをどうにか正したいと思っていると信じられる理由があったなら、俺はもしかしたらこう言っていたかもしれない。「待ってさえいれば、いつかこれ(ドーピング)をしなくとも勝てる機会があるだろう」と。だけど、生きているあいだにツールを走ってクリーンに勝てるチャンスがあるようなシナリオは、俺の頭の中になかった。何もかもあの体験が背後にあった。

それはもっともなことだ。

あんたがそういう質問をしてくれて嬉しいよ。俺が、何十回も言おうとしたが上手く言い表せなかったことが、はっきり言葉になる。やったことの責任は俺にある。その決断をしたのは俺だ。誰のせいにする気もないし、誰かが俺に強制したわけでもない。だが状況がそうあって、その決断は俺にとってはほとんど決められていたんだ…俺はその時点(アームストロングと会話した時)まで、自分の中でそれを正当化したことはなかった。そして「この賭けは勝ち目がないんだ。この状況が正される可能性はない、受け容れるか、それとも辞めるかなんだ」と判断した。同時に問題を困難にしたのは、その頃俺は良い給料を貰っていて、勝者とともにツール・ド・フランスに出るチャンスがあったということだ。今気づいたが、物事はその頃俺が思っていたほど単純じゃなかった。俺はレースをしていい金を稼ぐことが出来たんだ…俺は、辞めなかった。

少し時間を戻して、ポスタルとの最初のシーズンときみが初めてランスに会ったときの話をしよう。去年7月にウォールストリートジャーナルに載った長い記事では、きみは2001年12月のトレーニングキャンプのこと、キャンプ中のある晩にバンに乗りこんでオースティンのストリップクラブに行った話をしていたね。ランスが運転して街灯を壊したと…

(笑う)彼はどんなルールも壊してたよ。

それがきみが持った最初の、彼は法を超えているという感覚か?

そう。俺はストリップクラブの事を話すのは本当に気が進まなかった。ランスを何とか悪く見せようとしてると捉えられたくなかったからだ。だけどあの出来事はよく本質を突いていたから言っておきたかった…彼のやり方はあの本(アームストロングの自伝)の内容とどうやっても一致しなかった。つまり、自転車界の中ではいろいろ話されててあいつは酷い奴だとか、ドーピングの噂だってされていたと思うが、俺が知っていたのはあの本と、少しばかりの噂だけだったんだ。今は確かに知っているが。

きみはそれを間近で見ていたんだな

そうだ。それ以上のものがあったけど、そうでなければならない事だったら、それはそれで良かった。俺はプレスと関わった経験なんてなかったから、実際に彼がしていたことがどれほど困難だったか分かってなかった。実際の人生を弄って別の人生に作り変えてしまうこと、100%つくりごとに近い話をし続けること、そういう不快な生き方をして、それを隠そうとすらしないこと。つまり、俺は彼が会ったこともない奴だった。彼は俺に、信用のおける人間かどうかを見せる期間すら与えなかった。ただ俺を車に放り込んで、ストリップクラブに行ったんだ。隠そうともしない男なのに、作り話はなぜかそのままなんだ。この男はどうしようもない事をやって周っているのに、俺たちが聞くのはいい話ばかり ー 彼は人々を勇気づけ、希望を与えていると。俺は自分がしたいように生きるし、彼がしたい事について彼を非難するつもりはない ー ただ知っているだけだ。話の辻褄が合わない、と。

ウォールストリートジャーナルの記事からの引用だが「ランディス氏は、アームストロング氏がそのようなパーティに行くことに驚いたものの不快感は感じなかったと語った。アームストロング氏の私的な生活が公けのものと違うとしても、それは許容できると。」しかしきみが育った環境を考えると、どうやって公けの場でと私的な生活での差を許容できたんだ?

俺がそれで構わないと言った時は…あの頃は、俺は自分がそんなことをしたいとも、まして出来るとも思っていなかった。だがその頃に今の自分がいたとして言えば、許容できる。それとその頃俺はまだ少し名声に眩んでいたんだ。俺は自転車レースを見て育ったわけではないが、それでもあの男が大スターなのは知っていたから。

世界的スター、か?

ああ、彼は本物のスターだったよ。ー あんたがそれを知らないわけはないがー だから俺は彼のスターっぷりに少し眩んでいた。俺は、ああいう生き方が最善じゃないと感じてはいたが、別にそう沢山を知っていたわけじゃなかった。どうしてああしなければいけないのか、そもそもなんでああなのか、俺には解らなかったが、俺は構わなかった。「別にこの男のために働くのは構わない、こいつは俺の知らないことを知っているんだ。それでいい」と…構わない、許容できる、というのは「きっとそういうものなんだろう」という意味だ。それに俺はそれを変えたり、そもそも彼にそんなことをするべきじゃないなんて言えるような立場じゃない。批判できるほど彼のことを知りもしない。

きみが彼に感じることは、それに影響されたか?

いいや、だが。つまり俺は、彼の噂、彼が本から思うほどいい人間ではないということは聞いていたし、完全に不意をつかれたわけじゃない。だがそれは、じゃあ彼が実際にはどういう人間なのか自分で探し当てないといけないという事だった。結局わからなかった。

がっかりしたか?

ああ、とても。失望したのをよく覚えている。物語が本当であって欲しいと思っていたんだ。

ではきみはオースティンでのトレーニングキャンプで最初に彼に会ってから、すぐに内側の輪のメンバーになったんだな。そして7ヶ月後、ランスもいたツール前のサンモリッツでのトレーニングキャンプで、きみは初めて、ドーピングをした。

そうだ。


[4]へつづく)

(Source: nyvelocity.com)

朝日新聞2012年2月15日朝刊29面 スポーツTOPICS「食品 ドーピングの火種」

朝日新聞の朝刊、スポーツ3面に載った、「コンタドール事件」と食品の汚染によるドーピング問題についての記事。見出しは『ツール王者「肉が原因」・裁判所は「栄養補助食品」』…それだけだとまるで意味不明。要するに記事の主題は食品の汚染による故意でないドーピング事案の発生の懸念についてで、故意のドーピングの話ではないと思われる。

一昨年7月、ツール期間中に採ったコンタドールの尿から禁止薬物「クレンブテロール」が出た。スペインのアイドル的存在のコンタドールは故意の摂取を否定。スペイン自転車連盟は処分なしと決定、当時のサパテロ首相も「罰するべきでない」とコメントするなど擁護の空気が広まった。

(中略)

(クレンブテロールは)最近は再び検出例が急増している。
理由の一つを「検査装置の感度が上がったこと」と日本分析センター・アンチドーピング研究所の植木真琴所長は説明する。
陽性になった選手の大半が「クレンブテロールを与えた牛や豚の肉を食べたせい」と主張する。肉に限らず、表示にはないのに、実際にはクレンブテロールが含まれている栄養補助食品もあり、それが原因で陽性になる例もある。尿に出る量はわずかで以前は分からなかったが、今は検出可能。コンタドールの場合、検出量は1ミリリットルあたり50ピコ(1兆分の1)グラムで、世界反ドーピング機関(WADA)が検査機関に最低限求める検出能力の40分の1という微量だ。
どんな形で取り込まれても、禁止薬物が体内にあれば原則ドーピング違反。だが、コンタドール事件を複雑にしたのは、食肉が原因の陽性例への対応が分かれているからだ。たとえば、一昨年に中国で試合をしたドイツの卓球選手が陽性になり資格停止。だが「中国で食べた豚肉が原因」と主張し処分が解除に。昨夏にメキシコであったサッカーの17歳以下ワールドカップでは100人以上の選手から検出されたが、国際サッカー連盟は違反に問わないと決めた。
コンタドール側は「スペインから差し入れられた牛ヒレ肉3.2キロに含まれていた」と主張。だが、この薬を大量に使った肉は食べると中毒を起こすため、スペインを含む大半の国が飼料への使用を禁じている。
WADA側は流通経路をさかのぼって飼育した農場まで見つけ「薬の使用が疑われる検査記録はない」と反論した。すると今度は「3.2キロのヒレの塊がとれるにはこの農場の牛は小さすぎる」と抵抗。「私はうそは言っていない」とコンタドールがうそ発見器にかかったりもした。
最終的に裁判所は「クレンブテロールが含まれた栄養補助食品が原因の可能性が高い」と判断。家畜業者の不法使用が目立つ中国、メキシコのような情状酌量は認められなかった。
今後も同様の騒動が起きる可能性は高いが、WADAは「中国やメキシコで主催者の指定場所以外で食事するときは大人数でいくこと」などあまり科学的とはいえない対策を勧めている。(酒瀬川亮介)
でもコンタドールの写真の下の囲みに自転車競技のドーピング問題についての言及。
自転車界、疑惑相次ぐ
「ドーピングのデパート」とも揶揄される自転車界。特にロードレースは毎年のように世界のトップ選手に疑惑が持ち上がる。
1960年ローマ五輪のロードでイエンセン(デンマーク)が競技中に死亡。調べると興奮剤使用が分かり、ドーピング検査導入の引き金になった。現在最大の懸案は、持久力を高める造血ホルモンEPOだ。次々に新世代のEPOが登場し、検査側を悩ませる。自転車界で始まるドーピング技術は多く、する側も見つける側も最先端の技術でぶつかり合っているのが現状だ。
この囲み必要だったのか?
「ドーピングのデパート」という言葉は初めて聞いたような気がしますがアサヒってませんでしょうか。。。
EPOで「最先端の技術でぶつかり合っている」という表現も誤解を招くような気がする。実のところEPOの問題はマイクロドーシング(ごく少量を頻繁に使う)の検出で、最先端の技術という言葉とはズレてる気がする。抜き打ちドーピング検査の前に水を飲むか飲まないかでバレるかバレないか決まるという程度。。

今はEPOよりも自己輸血が最大の懸案ではないだろうか。今回のコンタドールの裁判ではWADA側は自己輸血説を持ち出した、ということがこの記事にはどこにも書かれていない。自己輸血で血液バッグから出る可塑剤が証拠となりうる可能性とか、バイオロジカルパスポートの値を正常に保つための血漿とか、そっちのほうが最先端の気がする。

何にしても、全国紙にこれだけ紙面を割かれるくらいドーピングに関して日本でも認知されるようになったのかなあと。。

あ、一番書こうと思っていたことを書き忘れた。リー・フユの件。
中国人選手リー・フユはクレンブテロールに陽性を出し中国自転車連盟から2年の資格停止処分を受けた。WADAは「CASに提訴すれば無罪になる可能性が高い」とまで伝えたというが、リーは提訴しなかった。金銭的事情とも、中国当局からの圧力とも言われた。
科学だけで真実が明らかになるわけではない。
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ハッピーバレンタイン

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